清河八郎は、1830(天保元)年、庄内藩の清川村、現在の山形県東田川郡庄内町清川に生まれました。
生家である斎藤家は、清川村の大庄屋格であり、酒造家だったそうです*。
彼は、1855(安政二)年、母を奉じて伊勢参りの旅に出るのですが、このときの道中日記が『西遊草』。
巻十一に
我記するところの事を案じ、一世に一度は必ず伊勢いたさるべきなり。されども道中の労をしのび、孤燈のもとにて思ひのままをしたためたる此『西遊草』なれば、大人見識の見るに供するにあらず。但児童、小婦の伊勢参ばなしに、旅中のあらましをさとさんために、しるしおくのみ。
とありますから、大人の見るに供するものではなく、後日、弟や妹が伊勢参りをする際、旅中のあらましをさとすために記された、私的な作ということになります。
深井甚三『江戸の旅人たち』(吉川弘文館、1997年)に、
何よりも旅についての知識を得るための情報源となったのは、家族や知人の旅の経験であった。このため旅する人々は後の参考のためにも、旅の道筋や宿泊・休憩場所、参詣した神社や見物先、そして旅先でのさまざまな支出などをまとめた道中記を記し、必要に応じて家族や知人へ見せた。このため江戸期の史料が残されている家の多くには紀行文はなくとも道中記は残されているのである。
とありますから、当時は、伊勢参りをする際に、家族や知人の情報源とするため、道中記を残す旅人が多かったのだろうと思います。
さて、その数多い道中記の中で、清河八郎『西遊草』の特徴は、東洋文庫版の小山松勝一郎「解説」にあるように、四百字詰め原稿用紙にして約六百枚という大部であること。
また、抄訳ながら現代語訳の『西遊草 清河八郎旅中記』 (小山松勝一郎編訳、平凡社東洋文庫 ) と原文の『西遊草』 (小山松勝一郎校注、岩波文庫 ) の二冊が出ていることも、読むのに便利です。
というわけで、これからしばらく、この『西遊草』を読みながら、安政二(1855)年当時の人々の生活や思いを感じてみたいと思います。
ただ、私は、できるだけ公共交通機関を利用したいと考えているため、中信地方から、南信、東濃、尾張を経て、北勢地方まで。時に、三河や西遠、あるいは、西濃、中勢に遠征することもあることはあるのですが、行動半径に限界があります。
また、私の知識・能力にも限界があるため、八郎の旅の中でも一部の行程のみということになろうかと思いますが、もしよろしければ、これからしばらく、お付き合いください。
*山形県庄内町の観光情報サイトのホームページ「回天の魁士 清河八郎 」に「年譜」や「人物図鑑」があります。
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