先日、馬籠に行ってきました。
馬籠バス停で、バスを降り、左折。旧街道の坂を上ります。
「清水屋原家住宅主屋 」「清水屋原家住宅土蔵 」という名称で、2012年、国の登録有形文化財に指定されています。
島崎藤村の小説「嵐」に登場する「森さん」は、この清水屋の原一平氏。
藤村の長男楠雄氏が、馬籠で帰農した際に、世話をした人物でもあります。
さて、その先の左手にあるのが、「四方木屋」。元は、藤村が、長男楠雄のために建てた家です。
もともとは、身体の弱かった私のためを思って、父がここに住まわせたんです。いや、別に没落した島崎家の再興とか何とかそんな訳でもないんで、ただ一百姓として土に親しむ、ということだったんです。
とは、雑誌『太陽』1972年3月号「今月の人 島崎楠雄=ふるさとに四十六年」における、楠雄氏の言葉。
藤村の三男である島崎蓊助「父藤村と私たち」(1947年、1967年補訂)*にも、
上の兄は、学業半ばで父のすすめにより、郷里の田舎で農業に従事し鍬を手に取っていた。(略)郷里の馬籠には、三年間の農業実習を了えて、上の兄が自作農としての出発に忙しかった。農具の端から、薪を切るための山、田畑も手に入れた。村の中央、祖先の屋敷跡の下に新しい木の香りを放って、屋号も「緑屋」ときまった新しい百姓家が建った。これが上の兄の家だ。
とあります。
『島崎藤村全集 別巻』の「島崎藤村年譜」によれば、藤村が、長男楠雄を原一平に預けたのは1922年。
同年、山林、翌23年に田地、24年には旧本陣跡の下の宅地を買収し、さらに26年には田地を買い足しています。
また、「緑屋」が建って、楠雄氏が新居に移ったのも、1926年です。
現在の「茶房 四方木屋」は、その建物を、2002年に改装したものだそうです。
さて、その四方木屋の上、島崎蓊助氏の言い方を借りると「祖先の屋敷跡」に建てられたのが、藤村記念館です(左画像)。
運営及び設置主体は、財団法人藤村記念郷。1950年の財団設立時の理事長は、藤村の長男、先述の島崎楠雄氏でした**。
藤村記念館のウェブページ「藤村記念館の概要 」によれば、同館の所蔵資料約6000点のうち、楠雄氏の寄贈資料は5000点超。
藤村記念館の入口正面、白壁にはめこまれた銘板の言葉、
血につながるふるさと
心につながるふるさと
言葉につながるふるさと
も、楠雄氏の字だそうです。
なお、この言葉は、1928年4月30日、藤村が地元の神坂小学校で行った講演の際、同小学校で訓導だった宮口しづえ氏がノートに書きとめたもの***。
あの三つのことばをくり返しいわれた時の、藤村先生のふかい思いが胸にひびいたような気がして、これは大事なことばだと気がついて書きとめたのでした。
確かに、藤村の深い思いを感じさせる、胸に響く言葉のような気がします。
(次回に続く)
*『島崎藤村全集 別巻』(筑摩書房、1983年)
**藤村記念館のウェブページ「設立趣意書 寄附行為 」
***北小路健『続木曾路 文献の旅』(芸艸堂、1971年)