下中央が、青木湖。
いわゆる仁科三湖の一つですが、吉江孤雁「西信の三湖」*に、
木崎、中綱の二湖に比べると、その趣は非常に異う。
とあるように、他の二つとは、違う趣を感じます。
前の二湖は明るい軽快な、どことなく南国のような景色を備えているが、この湖は、周囲の山の樹木が深く茂って、湖上に松がかぶさり、湖の色が深碧で、深さも岸から急激に増して、湖心はほとんど底知らずだと思われている。
いずれも糸魚川-静岡構造線によるものではあるのでしょうが、青木湖の場合は、単なる断層湖ではなく、佐野坂丘陵が姫川を堰き止めたことが直接の成因。
約3万年前に西方の仁科山地から大規模な地滑り崩壊が起こり、佐野坂丘陵が形成された。そこで、丘陵の南側に深い湖が形成された、というのが、現在の学説のようです**。
佐野坂丘陵は、地図でいうと、青木湖の北を区切る、比高わずか数十mの高まりですが、これが、糸魚川へ流れる姫川水系と、長野盆地を経て新潟へ流れる信濃川水系の分水嶺となっています。
ちなみに青木湖は面積では長野県で三番目ですが、水深は58mを超えており、最深の湖ということになるそうです***。
湖の左岸からは青崎という木のこんもりした岬が突出していて、旧街道はその上を通っているのだ。
地図でいうと、青木集落の北の半島が青崎。江戸時代の街道「千国街道」(仁科街道)は、青木湖の西岸を通っていました。
私は去年の冬、雪に追われ風に追われて、姫川の谿谷を出て、夕方近くにこの三湖の岸を巡ってきたことを思い出す。
吉江孤雁(喬松)は、夫人が小谷村の出身ですから、その関係の行き来だったかもしれません。とにかく、真冬の佐野坂越えです。
同行者は三、四人あった。初めは声高に話し合っていたが、次第に風が強く雪を吹き捲くって、後ろから後ろから追いかける。まだ一月初旬のこととて、寒波は雪に咽んで岩へ打当たる。
吹雪でたいへんな道行きになったようです。ところが、
青木を過ぎ、やな場を過ぎ、中綱も過ぎ、木崎湖の岸の中ほどまで来ると、南方の空が展けて、淡青色の空に淡紅い雲がもやもやと湧きだしているのが目にはいる。
木崎湖まで来ると南の空が展けてきて、
南に進むにしたがって次第に眼界は展けてくる。明るい光に引きつけられるようだ。
『日本の気候(日本の自然5)』(岩波書店、1986)を見ると、大糸線では、信濃大町の北に積雪量の不連続がある、と書かれています。
中学校の地理の時間に習った、いわゆる日本海側気候と中央高地気候の境界線ということになるでしょうか。
*『長野県紀行文学全集 第Ⅱ期第三巻 大正編<Ⅰ>』(郷土出版社、1989年)
**多里英・公文富士夫・小林舞子・酒井潤一「長野県北西部、青木湖の成因と周辺の最上部第四紀層」、『第四紀研究 39(1)』(2000年)
***公文富士夫「湖底に刻まれた記憶を読む」、『大地が語る信州の4億年』(郷土出版社、1994年)