神城駅


 画像は、昭和五年及六年修正測図の「五万分一地形圖 大町」です。


 右上の集落は、長野県北安曇郡神城村の「飯田」。


 集落の南に表示されている符號(地図記号)「○」は「町村役場」ですから、飯田に「神城村役場」があったということになります。

 神城村が北城村と合併し、白馬村になるには、1956年(昭和31年)のことです。


 次に、集落の西を走っているのが「大糸南線」。当時はまだ、神城駅が終点です。

 「大糸」というくらいですから、大町と糸魚川を結ぶ路線のはずですが、全通し「大糸線」となったのは、1957年(昭和32年)*。


 この地形図の当時はまだ、「大糸南線」も工事中で、簗場~神城間が営業を開始したのは、1930年(昭和5年)**。この地形圖が修正測量された年であり、そして、信濃森上間まで延伸したのはその2年後、1932(昭和7年)のことでした***。


 そして最後に、集落の東を流れるのは「姫川」です。多・公文・小林・酒井(2000)には****


 古神城湖は、支流からの砕屑物の供給と扇状地の発達に支配されて、位置と規模を変えながら存在したもので、扇状地末端部から沖積平野にかけての短命で浅い湖沼の複合体であったと推定される


とあるので、神城平はかつては湖だったということになるのでしょうか。 植木・赤羽(2001)*****にも


 上流部の白馬村神城平は2000年前まで湖沼であった化石湖であり、姫川は穏やかに流れる

 

と書かれています。


 地図で見ても、神城平では田圃の中を穏やかに流れる姫川ですが、北城平では、平川や松川の扇状地に押され、盆地の東端を流れるようになり、さらに松川合流部よりの下流では、V字谷の峡谷を急流となって下ることになります。

 

 次回は、神城平でも、下流に位置する飯森集落について、取り上げてみたいと思います。

 

*中川浩一「小海・飯山・大糸線の形成と変遷」、『鉄道ピクトリアル』NO.709(2001年11月号)

**『官報』第1141号(1930年)

***『官報』第1764号(1932年)

****多里英・公文富士夫・小林舞子・酒井潤一「長野県北西部、青木湖の成因と周辺の最上部第四紀層」、『第四紀研究』39(1)、2000年

*****植木奈緒・赤羽貞幸「姫川河床に分布する巨大礫」、『環境科学年報」23(2001)