死にぞこなって良かったと思った2度目のこと | 曽根賢(Pissken)のBurst&Ballsコラム

曽根賢(Pissken)のBurst&Ballsコラム

元『BURST』、『BURST HIGH』編集長の曽根賢(Pissken)のコラム

 

[七曲り荘日記]

 

巻頭連載[第127回]
「我らの時代の墓碑銘を描く画家――その淫蕩する光線」

 

「ドローイング神」
佐藤ブライアン勝彦●作品&文

 

「僕は夢の中で嘘をついた」

 

「悪魔の住処」

 

「知覚の扉」

 

無題」

 

「無題」

 

 

 

いよいよGWに突入か、もう初日から忙しかった……。

お客さんには申し訳ないんだけど、円形脱毛症にもなった事だし、平日のディナーは、お店をお休みする事にしました。

おいおい、どんな理由だよ。

と突っ込まれそうだけど、常連さんはわかってくれるはず。

 

先日、ディナーの予約が入った際に、

「すいません、ディナー休んでます」

と言ったら、

「わかりましたー」

って、笑ってたし。

 

うちのお店は、ほんと良いお客さんに恵まれてる。

コロナ禍の時には「あのお店を潰したくない」とツイッーターで、声がけしてくれる方がいたり。

おかげで乗り切れた。

 

で、先週から急遽描いてるドローイング。

正直、画用紙に描いた事がないので、出来んのかな? と思っていたけど、突然ドローイング神が降りて来ました!

展示が楽しみになってきました。

 

 

[今週のブライアンのお勧めレコード/『Round Singing Voices of the Ainu 2012-2024』]

●アイヌの伝統的な歌を歌う女性ヴォーカル・グループであり、安東ウメ子のレコーディングにバックシンガーとして参加した経歴も知られるマレウレウの過去13年分の楽曲をコンパイルしたアルバム。

●最近、友人の美容師O君と話してて、アイヌ文化に興味を持ち、そこから出会ったアルバムだ。

 

 

 

 

4月22日(月)鬼子母神は晴れ。

 

日をまたぎ午前2時(23日)に消灯し、布団へ寝そべる。

眼をつぶり、

「ええいっ、やっぱりボスYに頼みこもう」

と、声に出すと、それだけで安心して、すっと眠りに落ちた。

 

 

[今週の曽根のお勧め作品/文芸誌『スピン』7月号(河出書房新社)]

●私の掌編『雑司ヶ谷鬼子母神「七曲りの路地」奥の七曲り荘二〇二号室からずっと』が300円で読めるのは、この『スピン』7月号だけ。

ぜひ、読んでおくれ。

 

 

 

4月24日(水)鬼子母神は小雨。

 

昼、小雨のなか傘もささず、待ち合わせ場所の鬼子母神境内へ歩く。

(根がフランス系なので大雨でもない限り面倒なので傘はささない)

入口に、すでにボスYが立っていた。

連れだって、明治通りにある某有名不動産へ歩いた。

 

女性スタッフが応対し、テーブルを挟んでボスYと名刺交換をした。

私はボスYの脇に座り、頭をぺこぺこ下げてみせた。

「精神病での生活保護の方だと、なかなか部屋がないんですよね」

「ああ、そっちじゃないです、糖尿病の後遺症です」

ボスYが食い気味で言う。

複雑な気分で、私は頭を下げた。

紹介できる部屋があり次第、私とボスYへメールをくれるという。

結局、私には名刺をくれなかった。

 

そこを後にして、お茶をしようと、煙草の吸える喫茶店へと歩く。

定休日の「キアズマ」を通り過ぎ、都電の踏切を渡り、鬼子母神通りを目白通り方向へ進む。

しかし、その店も休みだった。

しようがないので、戻って、池袋方面へ行ってみようと、きびすを返した。

 

10日ほど前に相談へ入った、例の小さな不動産屋の前を通る。

「連絡ないからダメって、曽根さんの妄想なんじゃない。いいから聞いてみようよ」

で、しぶしぶ、その扉を押した。

 

なんのことはない、私用に3部屋選んでおいてくれたようだ。

しかし、2つは早稲田のほうなので、近場のコピーをもらい、先住者が転出(5月17日)したら内見させてくれるよう頼んで外へ出た。

 

ボスYの事務所近くのチェーン店でお茶をし、また私は、ぺこぺこ頭を下げた。

今後、内見も付きあってもらうのだ。

やはり、持つべきものはボスYだ。

これで、今夜も安眠できるだろう。

 

NMIXXつれづれ草]

 

NMIXXが6月に、初のフルアルバムでカムバックするという、かなり信憑性のある情報が流れている。

去年3月の初ミニアルバム『expérgo 』(6曲入り)につづき、1月に7曲入りミニアルバム『Fe3O4: BREAK 』を発表したばかりだが、デビュー2年4カ月でのフルアルバムは、私にとっては「ようやく」という感がある。

 

●なにせメンバー全員がメイン・ヴォーカルを張れるNMIXXなのだし、去年は全世界で舞台を踏んできたことにより、明らかに全員のスキルとパワーが全盛期に近づいているのだ、これから5年は、年間2枚のフルアルバムだって多すぎやしない。

なぜなら、歌手の「楽器としての全盛期」は、アスリート同様、かなり短いのだから。

 

●楽器としての中森明菜の全盛期は短かった。過度の飲酒と煙草、何より唐辛子中毒。

私の1つ下の彼女がデビューしたのが82年の17歳。デビュー曲の「スローモーション」の歌声は素晴らしかった。

が、たった数曲で高音のたっぷりとした鳴りが消えてしまったのだ。

 

(注)喉の問題より、体重を落とし過ぎたことのほうが「楽器」の鳴りを著しく落としたかもしれない。

現在のKPOPアイドルの痩せ方は、デビュー時のダンスと歌のクオリティを保つことさえ到底無理だ。

その点、楽器の鳴りを重要視して、NMIXXのトレーナーは、またはメンバー自身、これ以上の絞り込みは禁止していると思われる。

とはいえ、IVEのウォニョンのようなグロテスクなまで痩せたからだも、芸能という「見世物」において素晴らしいのだが。

 

27歳で死んだジャニス・ジョプリンとエイミー・ワインハウスもまた、すでに全盛期を過ぎていた。あれだけの飲酒量とドラッグ量だったのだからしようがない。

もう1人の我が歌姫であるシャングリラスのメアリーは、22歳でやはりオーバードーズ死したが、あの天使の声もまた、早すぎた晩年には全盛期を過ぎていたのだ。

 

●しかし、彼女たちは歌手を全うしたと思う。

 

●節制しているNMIXX6人とはいえ、そのフィジカルはいつどうなるかわからない。そもそも全盛期など5年がせいぜいなのだから、彼女たちのためにこそ、その喉を酷使させるべきだ。

6月のシングル曲は、一説には「太陽を掲げろ」というタイトルらしい。

「願わくば太陽で首を吊りたい」とは私の詩だが、なんだか繋がっているのを感じてしまうのは、老いらくの恋うえの妄想であるか?

ううう、待ち遠しい。

 

 

 

4月27日(土)鬼子母神は薄曇り。

 

昼前、大野さんより電話あり。

なんと、雑司ヶ谷墓地そばの鰻屋へ行こうという。

むろん御馳走してくれるそうだ。

 

当の大野さんや仲間のおかげで、死にぞこなって早4年か?

生き延びて良かったと思ったことが1度あったが、今回が2度目である。

待ち合わせ場所の鬼子母神へ出向くと、大野さんは車をころがしてきた。

 

駐車場に車を止め、鰻屋まで歩いた。

が、予約で満席となっており、1時にならなきゃ座れるかわからないという。

諦めきれず、近くの喫茶店で待つことにする。

で、1時に電話してみると、座れるというので急いだ。

店は2時までだからだ。

 

座敷の掘り炬燵式の席に座り、さっそく注文する。

●鰻重(肝吸い、糠漬け)2人前

●肝焼き(フランクフルトソーセージ並に巻いてあるので2人で1本を分ける)

●私は2合徳利(常温)をグラスで

●下戸の大野さんは冷たいウーロン茶

 

窓から初夏の緑が鮮やかだ。

ふむ、やはり死にぞこなって良かった。

山椒を振った肝と、大根の糠漬けで呑む、冷や酒(剣菱)が大層旨い。

 

退院後、何度かこの鰻屋へ誘ってくれた友人もいたが、とても鰻を食べる体力がなかった。

未だ、痛みや自律神経失調症はつづいているが、それでも40キロ台だった体重も、65キロまでに回復したのだ。

昼酒と鰻が気持ちよく身に染みる。

 

●撮影大野さん。横になっちゃって申し訳ない。

 

 

その後、大野さんの車で幡谷のクラブ「ヘヴィー・シック」へ向かった。

そこで、絵描きでデザイナーの植地毅さん&坂本さん(元タコスUK)、タカチョウさん(SDS)らがパンク展をしているという。

それに誘うのが本題だったらしい。

 

幡谷の街は若いカップルが多く歩いており、オシャレな店が多いように見えた。

小屋へ向かう途中でケーキ屋があったので、殊勝にも差し入れを買うことにした。

さすがオシャレなケーキ屋、チーズケーキが700円、苺のショートケーキが750円である。

3つづつ買う。

 

 

入場料も大野さんが払ってくれ、中へ入ると、3人とハードコア・カメラマンのキックこと菊池茂夫さんが迎えてくれた。

植地ちゃんは先日、阿佐ヶ谷の公開会議へ遊びに来てくれていたが、キックとはPANTAの葬儀ライブぶり、坂本ちゃんとは15年ぶり? タカチョウさんとは25年ぶりだろう。

みんな変わっていないので嬉しかった。

 

展覧会の作品はパンクなヴィジュアルが主で、鋲ジャンも多数飾ってあった。

中には、BURSTで初めて載せた坂本ちゃんの鋲ジャンもあって感慨が深い。

また、BURST5号目の幻の表紙の色校も飾ってありびっくり。

モデルはタカチョウさんで、デザイナーは王様(テキサコ・レザーマン)こと村藤治。撮影は故・杉本健一。

 

校了日に営業からダメを出され、もう廃刊も決まっていたので、差し替えるしか立場がなかったのだ。

(しかし、発行人の中澤さんが頑張ってくれ数号続くことになり、皮肉にもその5号目がそこそこ売れ、世間にBURSTは認知されたのであった)

 

5号目の「鋲ジャン特集」こそが新機軸となり、BURSTを象徴する特集となったわけで、この場にいる彼らにはあらためて感謝したい。

鋲ジャンにしろ、クラストのファッションやフライヤーのスタイルにしろ、彼らの発信で、現在の若者にまでうけつがれているのだし。

 

 

●右からキック、植地ちゃん、坂本さん、名古屋ハードコア界の雄SDSのタカチョーさん。

 

 

帰りも車中でNMIXXを流した。

私はまだ免許証があるころから、運転よりも助手席で音楽を聴くのが好きだ。

大野さんへNMIXXは啓蒙できなかったが、ほろ酔いの頬に、新宿の街の風が気持ちよかった。

部屋へ入るなり、布団へ倒れこみ、

「大野さん、鰻重おいしゅうございました」

と、感謝を述べつつ、眠りに落ちた。

 

おやすみなさい。

よい夢を。