こんにちは。
タロットセラピストえんどうひろみです。
きのうの護摩焚き や
いろいろ体験させていただいておりますが
また引き続き
正式メニュー化されたということで
二回目をお願いしました!
ちなみに一回目のときは二つのお題がでました。
そして二回目のお題はなんと3つ!
そのうちの一つ目は
”救急車を一日に2台見る”
何日も続けてでなはなく、1日に2台見たら
それで一つ目のミッションは終わりということでした。
今回もなんじゃこれ?!でした。
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家の近くには総合病院があります。
なのでしょっちゅう救急車がその病院に
向かっているのを目にします。
駅に行くときの道の途中にあるので
救急車は毎日見るのが当たり前。
でしたが。
お題をいただいた日の翌朝もでかけたので
「救急車二台見るのは簡単だよね~」と
思ってたら
なんとその日は一台も見ませんでした。
毎日いつでもこの病院には
救急車でひっきりなしに人が運ばれているんだ
でも私が見た間はなかった。
”いつでも”ではなかった。
これも私の思い込みをひとつ崩した
ことなのかもしれません。
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そして、はじめてこのレッスン に
参加する日の朝。
ドキドキして会場に向かったら
目の前に消防署。
救急車一台目を見ました。
出動直前の。
動きそうで動かなくて
サイレンは回っているけど音がまだ鳴ってなくて。
「いつ出動するんだ?」と思いながら
レッスンにいきました。
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そしてそのドキドキだったのが
思っていた以上にレッスンが楽しくて
ウキウキしながらの帰り道、
二台目の救急車を見ました。
総合病院に向かう救急車でした。
なぜか私の目の前で音が変わりました。
病院に「もう近くにきたぞー」と教えたのかな?
どういう仕組みになっているのかは
わかりませんが。
そしてよくその救急車を見たら
朝霞市ではなく、遠くの市所属の救急車でした。
こんな遠いところまで来るんだなぁと
思いました。
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そして帰宅しました。
たまたまPCを開けたら、その総合病院が
数年後に移転するのが決定したという記事を
見つけました。
家からは歩いていくのは厳しい距離でした。
一応巡回バスが駅から出るとは書いてありましたが。
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まず思ったのは、私には
「住むところは病院の近くでなければならない」
という思い込みがあったということ。
私も家族もおかげさまで通院はしていないです。
今住んでいる家は、息子が幼稚園時代に
よくお世話になっていた病院が近くにあるので
「ここならあの病院に近くてちょー便利!」
と思っていましたが
おかげさまで息子はかなり丈夫になり
ほとんどその病院にも行かなくなりました。
あと、遠い市からも救急車は来る。
病院がめっちゃ近くても
救急患者が多くて受け入れができないなどが
あったときなどは
遠くの病院に行くときもある。
そして、さらに思い出しました。
私、子どものとき
夜中に救急車のサイレンが聞えると
「乗っている人が助かりますように」と
聞えるたびに目を覚まし
布団の中で合掌して祈っていました。
そのくせが残っているのか
いまだに夜に救急車のサイレンなどが
遠くからでも聞えると目が覚めます。
で、気づきました。
「そこまで他人の人生を背負わなくていい」って。
私が勝手に背負っているし^^
その人にはその人の人生がある。
そこに私が割り込むように祈って
関与することはない。
これ、一見冷たいようだけど
ある意味、その人を信じることにもつながる
ことではないかと思いました。
まして誰なのかもわからないのに。
祈られるほうも「誰ですか?あなた?」と
思うかもしれないし。
それに実際に
私は全員を救うことはできないし。
その前に自分を大切にすることが
大切だと。
「私が自分の睡眠時間を削ってまで
祈らなくていい」と。
いつか救急車に運ばれるときに
病院に近いほうが、とか
誰かわからないけれど
救急車に乗っている人が助かりますように
とか
○○しますようにと
視点が今ではなく未来に完全にいっていた。
不安な未来を基準にしていた。
ぐっすり寝たり、なにかを楽しんだりする
”今”を削って
”未来の不安”に対してずっと考えていた。
”不安な未来を基準にして今を過ごしていた”
ことに気付きました。
今を楽しみ、今を大切にすれば
どんな未来が待っているのか。
過去から今へ
そして未来へ繋がっている
自分にとってのよりよい未来を望むのなら
今やることの選択は違ってくるよなぁ、と
また改めてこのミッションで思いました。
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明日は二つ目のお題をやりに?!いきます。
立春、そして満月の日。
そして今日は節分。
きのうの護摩焚きで節分より一日早く
自分の中の”鬼”と”対峙”しました。
退治ではなく対峙です。
逃げずに向き合う、です。
鬼とは自分の中に隠れているもの
隠しているものです。
…と、仏像の本に載っていました。
鬼とは、自分の中に隠している”感情”かも
しれませんね。
怖いけど自分で見つめる。
鬼(=自分)と対峙する、ですね。
そして明日さらに濃いお題へ…。
どうなる私?!
マダムひろみへの道はまだまだ続きますが
楽しみです。
明日のお題については
また明日ご報告いたしますー。