出会いという奇跡 | ピロの屋本館@ロサンゼルス

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天使の女王の町Los Angelesでの生活記録

皆さんはこんな事を思ったことがありますか?

 

花今、自分の周りにいる人達との出会いって、

一体どれくらいの確立で出会ったのだろう花

 

まぁ実際の確立を求めるってわけではないのですが、

現在世界の人口は約73億人とみられてます。

 

我々、一度外に出ると

様々な人と会うわけじゃないですか。

例えば近所のマーケットへ買い物へ行くとしましょう。

行きの車ですれ違う人達や道を歩いている人達。

マーケットで買い物をしているお客や店員さん。

そしてまた帰り道。

 

たったこれだけで、

大抵もう出会わない(お店の店員さんは別ね”笑”)人達と

生きている間にたった1度だけ会うわけですよ。

そしてまた別の行動をしても同じで、

もう二度と会わないだろう人達との出会いがある。

 

そう考えると、

すれ違いの出会いでなく、

知り合いにまでなる出会いって

もっともっと低い確率で出会っているわけで、

そんな出会いが、

『ありゃ?ちょっと運命的な出会い?』

なんて思う出会い方をしてしまうと

改めて出会いという奇跡を実感したりしませんか?

 

 

 

 

秩父の山奥のお寺、太陽寺の宿坊に参加した時、

実は運命?と思うような出会いがありました。

 

 

え?男か?

 

違うよ~ばいばい(笑)

 

純粋な出会うべきして出会った人々とのお話し。

 

 

葉っぱ  花  葉っぱ  花  葉っぱ  花  葉っぱ  花  葉っぱ

 

 

三峰口駅へと向かう電車の中。

私は1人わくわくしながら椅子の端っこに座っていた。

日本にいた頃から車ばかりだった私は、

この年になって電車での1人旅は初めてでしたからね~(笑)。

 

 

ふと気づくと私が座っていた椅子の逆の端っこに、

外国人の男の人が1人座っていた。

 

私は椅子に座って景色を見ながら音楽を聴いていた。

太陽寺は私が5年前から行きたかった場所だったので、

心はその事でいっぱいでね。

 

 

ある駅で、今度は向かいの席に

外国人の女の人2人が乗って来て座った。

仲良さそうに話している。

格好なども似ているので、

きっと友達同士で旅行に来たのだろう。

 

電車が終点の三峰口へ近づくにつれ、

乗客は徐々に減っていき、

いつの間にかその車両は我々4人だけになった。

 

 

 

三峰口駅を降りてベンチで待つ

私を入れた4人。

 

『この外人さんたち、

こんな田舎に何しに来たんだろうか。。。』

 

まさか秩父の山奥のお寺に

外国人がこんなに来るなんて想像もしていなかった私。

しかし、しばらくして太陽寺のご住職が迎えにやってきた時、

みんなが一斉に立ち上がったので

行先が同じだと分かった(笑)。

 

 

私以外の3人はカナダ人。

男性がブランドン。

若い方の女性がキャサリン。

ブルー服の女性がモニーク。

 

後で分かった事は、

一緒に乗って来た女性2人は友達ではなかったということ。

偶然どこかの乗り換えの駅で出会い、

偶然カナダからの旅人で、

偶然行先も同じだったのだという。

 

つまり、この4人はみな1人旅だった。

 

 

女性3人は同じ部屋になった。

 

ブランドンとキャサリンは2泊で帰り、

私とモニークは3泊で宿坊を終えた。

 

4人揃っていた3日間と、2人になったプラス1日、

我々が太陽寺で過ごした日々は

長い人生でこのたった数日だったにも関わらず、

なぜか、、、、

ずっとずっと昔から知り合いだったような、

そんな親近感が湧いていた。

 

 

2泊のブランドンとキャサリンが帰る時、

『モニークが泣きそうだから』と、

パーキングまで見送りに行かなかったのはそれが理由。

 

そして私とモニークがチェックアウトの日、

ご住職さんもこうおっしゃった。

 

 

『なんだか、、、このメンバー凄く良かったよね~!

なんていうかこう、、、

ずっと昔から仲いい友達だったって言うか。

とにかく凄く良いメンバーと過ごせて

良かったなぁ~って!』

 

そんな感じの同じセリフを何度も何度も言って、

我々と過ごした数日を

”本当に楽しかった”と仰ってくださり、

別れを名残惜しそうにしていたご住職さん。

 

私はそのご住職さんの言葉を

そのままモニークに伝えた。

 

するとモニークも、

 

『私も同じ事を感じていた』と。

 

キャサリンやブランドンとも

その後写真の交換やらで連絡を取ったけど、

彼らも似たような事を思っていたようだった。

 

 

太陽寺。

周りを360°の大自然に囲まれ、

人が生む邪悪な穢れに全く影響しないこのお寺は、

本来の人の良さを引き出し、

人と人とを惹き付け結びつける

不思議な魅力があるのかもしれない。

 

 

 

 

 

それから私、

実はこの1人帰国をする前に

かつてない程イライラした日々を過ごしていたんです。

 

それが始まったのはほんの些細な事からだったんです。

うちの姑の事をふと思い出してしまってから、

その事が頭から離れなくなってしまいましてね。。。

 

3週間位だったと思います。

そのイライラの日々。

 

もう自分でコントロールができない限界に達した時、

ママの声が聞こえた気がした。

 

 

『あんたは考えすぎなのよ。

そんなに義母さんの事を

中心に持って来て考えないの。

もっともっと他の事に目を向けて

今のあんたの生活を楽しみなさい』

 

ママの声はそれきり聞こえなくなった。

 

 

 

そのママの言葉で落ち着いていたのも

たった2日だった。

 

私はどうにも理不尽な事に目をつぶる事が出来ない

バカタレ頑固者なようだ。

 

健康に関する『食べるな!』等の事は、

言われてもまだいい。

毎回同じ事ばっか言われて面倒だなぁ

とは思うものの、

間違っている事ではないからね。

 

しかし、

健康以外には一切金を使うなとか、

猫を飼うなとか、

うちの家族の事を常識にかけるとか、

財布を持って歩くなとか、

こういった事に関してはどうしても納得がいかないのだ。

 

そんな気持ちがマックスになった時の

帰国だったんですよ。

 

そして。。。。

 

太陽寺の法話の最中にご住職がおっしゃった事が、

まさかのママと同じ事だった。

 

以下ご住職のお話し。

 

 

 

人は脳の僅か5%とか10%しか使っていないと言われています。

残りの90%とか95%は使っていないんです。

この5%に集中するよりも、95%に集中するようにすると、

もっともっと生きやすくなります。

 

人差し指を立てて前に出して下さい。

その人差し指を見つめて下さい。

すると周りがぼやけて見えますね。

 

それでは今度は、

人差し指ではなく周りに目を向けて下さい。

すると人差し指がぼやけて見えますね。

 

この人差し指は5%です。

こんな些細な事に目を向けて人生を無駄にするより、

もっともっと広く周りを見る方が良い人生を歩めます。

 

海の表面は常に波があって荒れています。

でも表面がどれだけ荒れていても、

海の底はとっても穏やかです。

修行とは、この海の底にたどり着く事です。

 

 

 

ママの言った事と全く同じ事を

太陽寺の法話で3日間聞く事になり、

その3日の間に素晴らしい出会いがあり、

あれだけイライラした私の心は

いつしかすっかりと穏やかに戻っていた。

 

 

しかし、今後姑と会う時に、

その仏教の教えをすぐに実践できるかといったら

それは自信がないわけですが(笑)、

私もいい年なので、

物事白黒だけでなく、

グレーやその他の色もあるのだという

寛大な心を持つ時期なんだろう。

 

 

花゚・*:.。..。.:*・゚゚花・*:.。..。.:*・゚花 ゚・*:.。..。.:*・゚゚花・*:.。..。.:*・゚ 花

 

 

この秩父の山奥のお寺太陽寺で

素晴らしく充実した日々を過ごした4人が、

偶然同じ電車の同じ車両の向かい側の席に座り、

偶然目的地が同じだったこと、

そしてその目的地、太陽寺での

ご住職さんとの出会いや法話も、

本当は偶然ではなかったのかも知れない。

 

世界の人口約73億人の中から出会った

彼らとのほんの数日間の想い出は、

私の中でとてもPreciousな経験で、

一生忘れる事はないだろう。

 

 

 

 

にしても、

 

 

 

まさか秩父の山奥のお寺で、

LAよりも英語漬けになるなんて

想像もしていなかったしーっ(笑)。

 

 

 

 

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