何の話?と思うと思いますが^^;
かつてサーフィンをする体力があった頃。
日本の場合は東からのうねりがコンスタントなため、僕は休みになると東北へ車でサーフトリップに行く事が多かったです。
仕事の後、0時くらいに出発し6時くらいに到着。
サーフィン、昼食、昼寝、サーフィン、夕食、睡眠。を連休最終日の昼食まで繰り返します。時に昼寝が移動になったり^_^
仙台からなら、福島県や岩手県の県境あたりまで移動しました。
個人的なパターンは、1週間くらい時間があれば宮城県。3日くらいなら福島県に行ってました。でも一度だけ行った青森県〜岩手県が一番印象深いです。
食べて動いて波を見つけて。
波が無かったりサーフィンをする状況でなければ、その地域でできる事をすることも、サーフトリップのうちです。
疲れで重くなった身体でトリップを続けることに生命の充実感、生きていることを実感していました。
やがて2011年3月11日がやってきました。
東日本震災です。
僕にとっては「これまでサーフトリップを楽しませてもらったお礼をするなら、今以外にない」という気持ちで復興作業の手伝いに行っていましたが、途中から「サーフィンできないから行かないのではなく、トリップに行ってサーフィンする状況でないから他の事をする」のはこれまでと同じスタンスではないかと考えるようになりました。
僕はメルセデスにタカヤマの板を積んでその日の波のいい地域を狙い、パタゴニアのウェットを着てするサーフィンも羨ましい気持ちもありますが、ビジターサーファーでも好きな地域があり、地元のウェットを着て地元の板に乗る。
たまに行くトリップではその場所のリズムに合わせて端っこで波に乗る。ことがカッコ良くリアルなサーファーと考えてました。
2012年夏からは、ひっそり許可された場所に僕も混ざってサーフィンしてましたが💦
夜中の運転。
そして9〜16時の作業、食事、風呂、テントまたは車中泊(2013年夏にフィガロを降りました)、早朝のサーフィン。の繰り返し。
それまでのサーフトリップと違うのは、サーフィンを心から楽しめなくなった代わりに、少しは役に立っているかもしれないという気持ち付き(事実はわかりません)。
多くの方が亡くなった場所にもかかわらず、自分の生命の充実感を感じていたのは、僕なりに「状況は変わったけど、じゃあどうするか?」と考えられていたのだと思います。
誰から見ても僕がビジターの立場だからだとは思いますが。
先日、引越しました。
いつもの通りだらしない僕は引越し前日前夜に箱詰めし、ダンボールが足りない事に気づきます。
足りない分は袋詰めしましたが、引越屋は箱詰めしていない荷物は運びませんでした。。
そこから2日後の部屋の引渡し10分前まで昼夜を問わず、家族で荷物の運び出し、掃除を続けました(^^;;
僕の車は相変わらず小さいので、5往復はして🚙💦
丈夫なジーンズ。のはずがボロすぎてしゃがんだりしてたら腰の縫い糸が切れました…。
気温体温に合わせて脱ぎ着できるインナー、スウェット、カバーオールまたはアウターも、アメカジなら気兼ねなく荷物運びに使えます。
もちろんあの時もアメカジでした。
記憶に残らなくとも、確かに服に自分の歴史は刻まれています。
その歴史にこそ、お金とは違う価値を僕は感じます。






























