胃腸の調子がかなり良くないっ!
飲み過ぎねっ!
負けるもんですかっ!
今夜も飲んでるわよっ!
唐突ですが。
日本の仏教は『大乗仏教』なの。
これはお釈迦さんが亡くなって後、思想を展開させて出来た仏教なの。
その大乗仏教の経典が出来たのは、お釈迦さんが亡くなって随分経ってからであるにも関わらず。
創作であるにも関わらず。
「ある時この場所で仏(お釈迦さん)がこう語り始めた」という書き出しで始まるから厄介なの。
そのせいで昔の人は信じてたの。”経典は全てお釈迦さんが説いた内容だ”って。
で、混乱したの。
「お釈迦さんが説いたのに、どーして経典によって激しく内容が違う訳?」
って。
そこで中国の智顗(チギ)って坊さんが仮説を立てたのよ。
「多分、一番最初に華厳経を説いたんだが誰も理解出来なかったんで、小乗の教えを説いて皆を悟りへと向かう準備をさせ、次に般若経典、次に阿弥陀経、法華経、そして死ぬ間際の涅槃経という順番で説いたんじゃないか?」
って。
あくまで仮説。
でも、この仮説が事実のように流布しちゃった。
で。「最後に説かれた法華経が一番素晴らしいのだ」と思っちゃった人達がいるの。
ああん残念~~間違ってるの、それそもそも前提が間違ってんのよーぅ。不幸よねぇ。
日本では江戸時代に富永仲基が文献的研究の末、「大乗非仏説(大乗経典はお釈迦さんの説いた物じゃないぞ!)」と看破した。
江戸時代に結論されてんのに、令和の世でまだそれ信じてる人がいるのって何故? お気の毒にねぇ。
とはいえ、大乗経典の内容がお釈迦さんの真意や教えと全く隔たってるか?といえば、そうも言えない。
(勿論、全く真意と違うだろって部分はあるけど)根底は同じだし、着眼点が違ってるだけ、とも言える。だから「仏教経典」として通用してるのね。
ここ行くってーと密教はもう”お釈迦さん”を教主にさえ据えてない。
大日如来がこう語った、とか、大日如来の意志を菩薩が説明した、ってな形式になっちゃってる。
もうヤケクソなのか? いえ、ヤケクソなんじゃなく必要なかったんだろうし、時代的にももうお釈迦さんの名前を使う事が無理、だったんじゃない?
読むと「あ、悟りの世界を覗いた人がこれを書いたのね」って解る。
という訳で、
お釈迦さんの実際の言行に近いものに触れたければ『小乗経典』を、
お釈迦さんの思想を膨らませてガンガン行っちゃった大作を読みたければ『大乗経典』を、
「誰が説いたかなんて関係ねぇ。本質を自分で捉えろ。この世は本質で出来ているんだからよ」って思想にかぶれたいなら『密教経典』を、
オススメし本日の酔っぱらいの独り言を終了したいと思います。
釈尊の神格化反対!のめろりんでしたー。