ってさ… | けんぢの出来心すらすら

けんぢの出来心すらすら

秋田在住釣りバカ親父の日記
日常を悪気なくすらすら~と綴っています。
もしよかったら見てたんせ~!!

書けるときに書こう!というわけで書きます。

 

現在、昨年のサクラマス記事の原稿を書いてます。

遅れてるのバレバレですね(笑)
今年の執筆は、脱線具合が半端ないッス。おかげで全然進まない(笑)
なんなんでしょうね本当。
 
こーやって自分の釣りについて書いてると、自分自身、意識せずやってきたことを分析することがあり、あぁ~なるほどな~ってことが多々あります。
ここはもっと意識して釣りしたら楽しいなぁとか、なんでこの釣りでそんなこと考えてたオレ?みたいな。
こんなのが、翌年のモチベーションの維持にとても役立っているようです。
 
今回書いてて、幼少期の渓流のミャク釣りが基点なんだなぁと感じてます。
あの時感じていたことが、今も私の中にあるというのは、あの時の自分が、未だ自分の中で走り回っているような気がして結構嬉しいです(笑)
まぁ、嫁様には、いい加減大人になれと言われますがぁぁ(-.-)
農繁期、誰も遊ぶ人がいない過疎集落。家の前の橋の上で、退屈をもて余したバカ息子に、仏頂面で自分の釣竿を渡した親父の顔。未だに覚えていますが、大人になったバブローも同じくオレを思い出してくれるでしょう。
よしっ!バブローの人生に爪痕残したぞー(笑)
あ、ちなみにその時、親父に渡された竿は、三日後くらいに、橋の上から尺上のウグイを無理矢理抜きあげようとしてぶち折りましたけどねー。なんか泣いた記憶はありますが…なんで泣いたかは記憶にありません。虐待か虐待か(笑)
すぐに、じいちゃんと町の釣具屋に新しい竿を買いに行ったなぁ。
1500円くらいだったかなぁ。あれが最初の自分の竿でした。
 
で、子供ついでに、バブローと一緒に釣りしてて思うんですが、釣りをすることの『楽しい』は道具や格好、ジャンルや魚種その他etc…じゃないなと。
理想を具現化するためのスタイルやブランド、美意識はもちろん自分にもありますし、それから得られる満足感は、大人の美徳として自分も陶酔してます。
だけどきっと、釣り好きの本当の根っこ部分は、自分でも恥ずかしいくらいに純粋で、そこが変わらないから、どんどん贅沢になって今に至るんだなぁとバブローを見てて感じました。
彼には、数万円の竿も中古屋さんで200円で買ったのべ竿も変わらない(笑)
どんな道具でも魚釣りを純粋に楽しみ、大物を釣り上げる夢を見てるバブローを見て、「いや、そのタックルじゃ大物は無理だよ」とか言いそうになった自分は、知ったかぶりの夢のない奴だなーと。
釣りも不自由さからの道具の進化がありますが、この日進月歩の文明の中では、案外不自由は最高の自由かもしれませんね(笑)
 
釣れる楽しみを知ったなら、あとは自然と釣れない経験をし、釣るには?を考えるようになる。そんなことを繰り返した結果が今に至るんですよね。
それはたぶん今も昔も変わらないまま。
のべ竿、通し仕掛けで目印とガン玉と針つけて
ってのがオレの原点だと感じております。

 
さて、天気の様子見てバブローとワカサギ釣りにでも行こっと。
 
 
 
 
それではまた~