
先週息子の発熱でキャンセルした美容室に、
朝イチで行ってきました

カットして、まつげカールしてもらった

これでマスカラ不要です

それから実家へ行き、お墓まいり。
お昼に父と息子と3人で、
超美味しいカレー屋さんでランチしてきました。
デザートまで食べて満腹

父が奢ってくれました

さてさて、昨日の話。
結局ピアノのレッスン終わって、
息子を自宅に置いて、
学校に着いたのは8時45分頃。
待っていたのは学年主任の先生だけです。
職員室にはもう4人くらいしか居なかったし。
結局、わざわざ学校行って話す事だったのかなぁって感じ。
言われる事は相変わらずだし、
私のスタンスは変わらない。
友達との件も、
息子から訴えられてるわけでなく、
コッソリ携帯見てることも
息子に公にはしたくない。
なので、わざわざ学校で友達と
話すようなシチュエーションを作って欲しくもない。
卒業式は、中高一貫とはいえ、
他校へ行ってしまう先輩もいて、
その先輩と会える最後の機会。
大切な儀式だという事も、
息子は充分承知してる。
本人だって、
行きたい気持ちはあるし、
行ければ行こうと思ってる。
それでも、身体が動かない時には
どうしたって行けない。
そこで親が、
無理矢理引っ張りあげようとしても、
事態が余計に悪くなるのは、
今まで嫌という程思い知らされてきた。
先生が、わざわざ学校に呼んでまで、
わかってほしいと語る重要性は
息子自身だって、わかっている事。
わかっているからこそ、
動けない、出来ない自分と
息子なりに葛藤している。
だから、そういう事を改めて
先生達から語られ続けても、
息子には圧がかかっていくだけなのだ。
昨日の学年主任の話の中でも、
それは一貫して訴え続けた。
先生達からみたら、
私の息子への対応は
緩くて物足りなく思われるかもしれないけど、
無理強いしたり
親が引っ張りあげようとしたり、
先生が思うような強引な手段は
ほとんどが経験済み。
それを経て、
今の私のスタンスとなっている事。
学年主任の先生は
自分の子供が学校に行けなかった時、
毎日教室まで送って行った事を
これまで何度も語っていた。
なので、私も、息子が小学生の時、
泣いて、みんなと一緒に登校出来ないから、
私が一緒に学校まで歩いて教室まで連れて行った。
そういう事をしていたのも話した。
先生が指摘してくる事すべてに対して、
一つ一つ、きちんと理由づけをして答えた。
その理由づけも、
息子が人として社会と関わっていける事、
それをきちんと根本としてね。
結局、先生も根負けした感じでした。
先生には
「表に出さなくても良いです。お母さんは学校に行かせたいという気持ちを持ち続けて下さい。」
と言われました。
曖昧に返事をしましたよ。
だって、持ってないからね

今日、いつも読ませて頂いてる
カンさんのブログのコメントにも
書かせて頂いたけれど
息子の将来を考えているからこそ、
今、学校に拘る必要はないかなと。
昨日、部長のお手伝いをしながら、
活き活きしてる息子を見ていたから、余計に。
学校に行くという事が、
昨日の朝の状態のように、
息子にとって辛くて苦しい事なら、
そんなに無理して行くことかな?
もちろん、これを甘やかしてると捉える人もいるでしょう。
辛い事から逃げてはいけない。
それを乗り越えなければ成長しない。
けどね、
不登校の親御さんなら、
精神的に不安定な子供をみていて、
ほんの少しでも、
こういう不安を抱いた事があるじゃないかな?
「この子が死んでしまったらどうしよう。」
苦しさの表現に大小はあっても、
学校に行けずに葛藤してる子供は、
生きる気力すら失ってしまう可能性もあるんだよ。
そこまでして、学校に行く事に
重大な意味があるんだろうか?
私は、ないと思ってる。
私、国公立大学を卒業して、
教員免許も持ってますよ。
でも、そう思えちゃう。
学歴や、学力は生きていく上での
スキルの一つに過ぎない。
大切なのは、
子供が自分の存在意義を感じて、
社会と関わりながら活き活きと
生きていけること。
なので、私が思っているのは、
学校に行けるようになるというより、
息子が人として、
きちんと社会と関わっていけるように
なってほしいという事。
その為には今は
自分の体調と上手く付き合っていく事や
気持ちを消化して折り合いをつけていく事を
まず身につけていってほしいし、
それで、息子が学校へ行こうとするなら、
そこは全力でサポートする。
それしかないんだよねー
