かわいがってる年下はいる?

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自分には、男兄弟がいない。
いたらどんなだったんだろうと
想像するのは面白い。
 
さて、宋代には、蘇軾と蘇轍という兄弟がいた。
この父も含めて三名ともに、「三蘇」と称され、
詩文や絵画、音楽に秀でた才能を示した。
唐宋八大家にあげられる。
 
蘇軾と蘇轍は非常に仲が良く、
文芸を通じて深い絆をはぐくんでいた。
作品を交換しあい、批評を通じて切磋琢磨したのだ。
 
 
蘇軾の書いた詩に
「和子由渑池怀舊」がある。

渑池回望绕岩虚,翠嶂暗中白鹭栖。

昔年兄弟游此地,水国风光别是非。

荒废园林今又过,故人何处可寻归?

唯有泉声依旧在,寒松路傍夜正稀。

 

渑池(せんち)と読むらしい。
今の河南省商丘市夏邑県にある地名で、ここで
蘇轍と遊んだことを思い出して書いた詩である。
蘇軾は、政治的には不遇で、僻地への転移を繰り返した。
そうした波乱万丈の人生の中で、蘇轍と過ごした
幸せは時期を回顧している感慨深い思いが込められている。
蘇轍は兄の蘇軾を精神的に支えたのである。
 
蘇軾は別名、東坡とも称し、東坡肉(トンポーロウ)は
彼にちなんだ料理で中国各地で人気の伝統料理となっている
 
そんな才能も人気もある蘇軾がどうして政治的に不遇だったのか
それは、王安石の新法に反対する立場(=旧法党)
をとっていたからである。
新法での改革は失敗するのであるが、
強引に進める改革の中、何度も流刑の憂き目にあったのだ。
 
そんな中で、書かれたのが、「赤壁の賦」である。
三国志の赤壁の戦いを題材に詩にしたもので、
英雄たちの壮大な戦いや人間関係が詠われている。
これを流刑の地(黄州)で書いた。
 
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コロナ禍で仕事がない中で、
友人に勧められてはじめたのである。
軽い気持ちで始めたが
300日続いてしまった。この作業はいままでの知識を整理することに
大変役に立った活動であった。
 
蘇軾がそうだったように
窮地に立ったときに、なんらかの執筆意欲が生まれ
作品が生まれるのであろう。
思えばJazzの名曲をはじめ、
映画の名作(天井桟敷の人々を想起)など
戦争中や、経済恐慌下で生まれている。
 
私の場合には、コロナ禍で仕事こそなかったが
業界的には大いに仕事はあったので、経営業務でなんとか切り抜け
たまたま生活困窮することはなかった。
 
ここできちんと分析が必要である。
 
苦境、不遇にあったときに自分に立ち向かう気力があるかどうかである
きっと蘇軾が流刑の憂き目のときには、
意気消沈したに違いない。
そうでなければ 上の詩「和子由渑池怀舊」は浮かばないだろう。
 
さて、翻って自分を思うと
そんなに苦境ではなかったのだと思う。
ただ、300日達成で思ったことは、
自分は文筆家ではないということである。
 
ただただ、ノルマだと思ってこなしたというテイだ。
苦境にあっても、立ち向かうの能力があるかどうか
そうしたときでも生きていく覚悟があるかどうかは
疑問である。
 
そんなとき蘇軾には蘇轍がいて
自分自身を形成した。
 
自分もそんな切磋琢磨する人間関係を
多く築いて生きたいと思う。



 さてさて、みなさま
素敵なナイトライフを
お楽しみください♪