リチャード・ドイル(Richard Doyle, 1824-83)

 リチャード・ドイルは、1824年9月17日、ケンブリッジ・テラス(ロンドン)で生まれました。
 彼の父J・ドイル(1783-1851)はアイルランドの風刺画家でした。
 リチャードは7人兄弟の1人で、兄のジェームズはエドムンド・エヴァンズの工房で挿絵画家として活躍し、弟のヘンリーもまた挿絵で生計を立てていました。そして、一番末の弟、チャールズは作家アーサー・コナン・ドイルの父です。
 

  

  The King of The Goldenriver (Mayhew & Baker, Boston, 1861)

 リチャードは父から絵の指導を受け、そのユーモラスで独特の画風は早くから注目を浴びていました。
 16歳の頃にはロンドン郵便局のために封筒のデザインを手がけています。
 1843年に、彼はパンチ誌に加わり、1844年には表紙を担当するまでになりました。彼の描く風刺画は瞬く間に民間での人気を勝ち取って行きます。
 1849年、マーク・レモンの「魔法をかけられたお人形」の挿絵を描き、1851年にはラスキンの「黄金川の王様」の挿絵を手がけています。
 

  

 The Princess Nobody(Longmans Green & Co., London, 1884)

 1860年代に入り本の彩色印刷技術の向上に伴い、彼はその本領を発揮します。
 その代表と言えるのがウィリアム・アリンガムの詩を添えた「フェアリーランド(In Fairyland)」(1869)です。 しかし、「フェアリーランド」は商業的には成功したとは言えませんでした。
 装丁や彩色挿絵に手がかかり、 非常に高価な本となりました。それはごく一部の富裕層を除いては手に取ることができないほどの販売価格(31.6シリング)だったのです。
 1870年には普及版2000冊が発行されましたが、それも手ごろとは言えず、結果として更に失敗を上塗りする形になります。
 この商業的な躓きはリチャードから仕事を奪い無名状態にまで落ち込ませました。
 1883年、彼は行きつけのクラブの階段で倒れ、そのまま亡くなります。享年59歳、死因は脳卒中でした。
 彼の死後、その作品は再評価の声が高まり、「The Princess Nobody」「Jack The Giant Killer」などの初期作品が再発行されました。
  今日ではリチャード・ドイルは1860年代後半のアーティスト、そして、ビアズリー、リッケッツなど1890年代のアーティストに影響を与えた画家として先ず最初にあげられます。

 “ Jack The Giant Killer ” (1888年)

  

 (Eyre & Spottiswoode, 1888)

 イギリスに古くから伝わる伝承にリチャード・ドイルが非常に見事な挿絵を提供しています。
 民話の雰囲気を出すように文字はすべて手描き、挿絵は多色刷石版画で刷られています。
 この絵本は1842年、ドイルが18歳の時にすべて手書きで原案を作りました。しかし、出版の機会を与えられず、1951年に出版されたものは挿絵を白黒刷用に描き直し、枚数も減らされ、文字も手書きから活版に変更されました。
 彼の死後、1888年になって初めてドイルの原案通りに再販されることになり、彼の再評価の機運を一気に高めました。

 

  
 

  「巨人退治(殺し)のジャック」は、元は英国コーンウォールを舞台とする伝承です。
J・ジェイコブズの再話によって世界中に広められ、確か映画にもなっていた気がしますが定かではありません。
 コーンウォールといえばアーサー王伝説で有名ですし、様々な遺構もあります。言語的にも独自の言葉を持っていました。
 また州西部のペンウィズ半島にあるランズエンドはグレート・ブリテン島最西端に位置し「地の果て」として名所にもなっています。
 不思議が盛りだくさんの、そのコーンウォールにあるセント・マイケルズ・マウントの「巨人伝説」が形を変えて「巨人退治のジャック」として現在に伝っています。

 

 

 

 話としては単純な退治話です。

 空腹になるとブリテン島にやって来ては略奪をし人々を苦しめる巨人をコーンウォールの農夫の息子ジャックが退治することから物語は始まります。
 ジャックは日が暮れるのを待って巨人の住む城の通り道に深く大きな落とし穴を掘り、夜明けを待ちます。そして太陽が昇ると同時にジャックは思い切り角笛をひと吹き。
 眠りを妨げられ怒り狂った巨人は居城から飛び出し、そのまま地響きを立てて落とし穴に嵌ります。そこでジャックが動けずにいる巨人の頭を鶴嘴で叩き割って殺すという凄まじい話です。

 

 
 

 結構、エグい描写も多く、ジャックも正攻法とは言えない騙まし討ちに近い策略を廻らせます。
 まぁ、特殊人類(?)との戦いと言う能力差からみれば騎士道に基づいて正々堂々と一騎打ちとはいかないのは当然ですけど。この物語、いうなればジャックの知略を楽しむものです。
 

 その後も悪い巨人達や魔法使い、ドラゴンを次々に倒して民間の英雄になっていきます。ついにはその活躍を認められてアーサー王の騎士に加えられると言うエピソードも加わります。
 

 “ Jack The Giant Killer ”は挿絵本体の面白さもありますが、その絵の枠に描かれたヴァリエィション豊かな観客たちもユーモラスで楽しいです。
 子供向きばかりではない風刺画家としてのドイルの面目躍如と言ったところでしょう。

 

  

 

クレイン、グリーナウェイ、コルデコット、テニエル、グリゼと取り上げてきました。
 19世紀はあと少しで終わりにして、そろそろ20世紀に入ろうかなとも思っています。
 他にも取り上げたい挿絵画家は何人もいるのですけど、そうするとそれに特化したブログになってしまうくらい際限がなくなります。
 20世紀初頭も誰を取り上げるか迷うところですよね。
 以前に、シシリー・M・バーカーの仕掛け絵本を扱ったので今回は彼女のオリジナルの部分を紹介したいですし、ビアトリクス・ポター、チャールズ・H・ロビンソン、ウィリアム・H・ロビンソン、ワーウィック・ゴーブル、エドムンド・デュラック、アーサー・ラッカム …。
 次回からは「20世紀初頭の挿絵」にタイトルを変えてしまおうかとも考えているのですが…。

 ただ紹介しているのは基本的に僕の持ち物が中心なので幅が狭いのが最大の欠点です。
 それから、書いたことに間違いがあれば教えていただければ嬉しいです。間違いがあれば、即、訂正します。
 恐らく僕が気づかないだけで多い気がするのですけどね。

 「不思議の国のアリス」「アンデルセン童話」みたいに何人もの挿絵画家が取り組んでいるものは、纏めたほうがいいのかな?とかも思っているのですけど。そうすると時代が混交して却ってわかりにくいとも思えます。
 絵のバリエイションを楽しむには良いですけど、挿絵ってその時代の気質みたいなものを含んでいるのです。それが見えなくなりますね。

 一冊づつを丁寧に取り上げたほうが良いのか、その挿絵画家の作品を俯瞰できるように何冊かから数枚を代表的に掲載すべきなのかも難しいところです。
 もっとも専門サイトではないし、僕の気分で書いているものですから厳密なルールなどありませんし、作っても意味がないでしょうし。

 僕がアリス続きで取り上げたかったのは、アーサー・ラッカムですね。
 すごく迷ったんですけど、邦訳版も現行で出版されていますから結局は入れませんでした。
 ここでご紹介しておきます。

 

 “ Alice's Adventures in Wonderland ”
( Illustrations by Arthur Rackham )

  


 1907年の限定本初版、挿絵は口絵1枚、カラープレート12枚が挿し込まれています。
 ラッカムの挿絵は怪しい雰囲気がありますよね。
 テニエルのアリスは幼女に徹した部分があります。
 子供らしい可愛いらしさと併せて、気難しさとか、我儘な表情も見て取れます。いうなれば健康的なアリスです。
 ラッカムのアリスは幼女の雰囲気は全くないですね。もっと大人に近い、けれど大人の女性ではありません。
 そこに曖昧なエロティシズムめいたものが香りたちます。

 

  
 日本では明治、大正時代に「少女」という概念が登場しました。若い女性でもなく、幼女でもない、もちろん単なる「女の子」でもない、もっと過渡的で曖昧な存在。
 ただラッカムのアリスはその「少女」と言うのとも違う気がしますね。
 プリティとか、コケテイッシュと言う陽の部分の愛らしさとは異なっています。
 外見はもちろん「少女」なのですが、もう少し成熟した性を内包しているような気がします。
 その怪しさが彼のアリスの魅力ではないかと僕は思っています。
 ラッカムについては別の本を改めて取り上げます。どれにしようかまだ決めかねているところです。

 

  

 

  

 

  

 

  

( LONDON : GEORGE ROUTLEDGE & SON, THE BROADWAY,LUDGATE,NEW YORK:416,BROOME STREET, 1868)

 「The Purgatory of Peter The Cruel」は、転生によるピーターの受難と因果応報を描いた諷刺物語です。
 インドに向かう商船のクルーであるピーターは、弱い生き物を殺すことを好む残忍な性格の持ち主。
 彼は一匹のゴキブリを殺した後、マストから転落し死亡します。
 そして、生き物を殺した罪で地獄に落ち、彼自身がゴキブリ、蟻、カタツムリ、トカゲなどに姿を変え、人間に殺されたり、ほかの生き物に捕食されるなどの運命を辿ります。つまり煉獄に落とされるわけです。
 邦題をつけるならば「残忍なピーターの応報」と言うほうがわかりやすいかもしれません。

 

  

 さて、肝心の本のほうですが、36枚の挿絵はエッチングに手彩色が施されています。
 装丁は、赤いレザー貼りの表紙、表題は金の箔押し、側面三方に金をあしらったもので、当時の書籍としては豪華な作りになっています。
 挿絵を描いたのは、現代では忘れ去られた挿絵画家アーネスト・グリゼです。
 

 アーネスト・グリゼ(Ernest Griset,1844~1907年)

 アーネスト・グリゼはブローニュ(フランス)で生まれ、1848年のナポレオン3世による革命のために財産を没収されたことから、彼がまだ幼少のうちに両親とともにイングランドに移住したと推測されています。
 グリゼはロンドンで絵画技法を学び、晩年までロンドン動物園の近くに居所をかまえ、動物や昆虫のスケッチに取り組みました。
 ウォルター・クレインはそこでよくスケッチをしているグリゼに会ったことを日記に書いています。

 

  
 

  彼の描写は生物学的にも、植物学的にも極めて正確であるのみならず、昆虫や動物を擬人的に扱うことに長けていました。
彼は動物園で動物や鳥、昆虫の観察をし研究を積み、そうして描かれた絵の多くは、現在、ビクトリア&アルバート博物館で観ることができます。
しかし、当時の評価は彼にとって決して好意的なものばかりではなかったようです。
1877年7月9日のThe Times誌は、彼の死の誤報を掲載するとともに「彼は非常な皮肉屋であり、動物と人間の間の子のような野蛮で怪奇な生き物の絵を無数に製作した。それは賞賛に値しない、明らかに心を病んだ者による無尽蔵な紙屑である」と書きたてました。
The Timesの酷評にも関わらず、レスタースクエアのサフォーク通りにある書店で販売していたグリゼの絵は、廉価なこともあり好調な売れ行きを見せ、人気は高まっていきました。
7月16日付けのThe Timesでは彼の死を訂正するとともに「彼は病んではいない」と言う記事を掲載しています。

 

  
 

 グリゼについての当時の経歴としては特筆すべきものはあまりありません。
というのも、彼の絵は子供に支持はされましたが、大人の間では子供ほどには広まらなかったのです。
彼はFun誌のために数年間挿絵を描き、1867年にはトム・フッドの詩集「グロテスク」の挿絵を担当し、当時、流行であったグロテスクな動物画で人気を勝ち取っていきました。
誤解のないように説明を付しておきますが「グロテスク」とは不気味とか、気持ちが悪いと言ったことではありません。
元々は、唐草模様(アラベスク仕立て)の中に、人物や動物、昆虫、植物、武器などをあしらった古代ローマの文様形式を指しています。
これを先のような意味に変えてしまったのはヴィクトリア朝時代の頽廃的なイギリス風俗であり、その騎手の片棒を担ったのはグリゼであったと言って良いでしょう。

 

  
 

 彼の人気と評価は高まり、リチャード・ドイル、ジョン・テニエルなどを擁していたパンチ誌の編集長マーク・レモンがグリゼをパンチ誌に勧誘しましたが、結局は意見が合わずに5年足らず勤めた後、1869年には彼はそこを去ります。
グリゼは以後、「Boy's Own Paper」「 The Girl's Own Annual」「Little Folks」などで活躍します。
その人気は本国イギリスよりもアメリカでのほうが高く、特に西海岸地方を中心とし、ありとあらゆる雑誌に挿絵を提供し多忙を極めました。
その結果、彼の仕事は粗雑になり、次第に人気も廃れていき、彼の死の時にはほとんど存在自体を忘れ去られていたと言っても良い状態でした。

 

  
 

挿絵画家としては忘れ去られたグリゼですが、彼の絵やストーリーが持つナンセンスさは「ちびくろサンボ」のヘレン・バンナーマンや「トムとジェリー」の作者であるハンナ・バーベラのカトゥーンなどにも影響を与えることになります。
今一度、絵の表現の豊かさといった観点から見直されても良い挿絵画家ではないかと僕は思います。