おじさんの漁師が、竿も使わずに漁をしていた。
プーリーでは街はずれの海岸、ナンデーカッテージという小さな宿舎(昔は信者のおこもりした宿であろう)に長く逗留した。目の前にベンガルの海が一望に広がり、打ち寄せる白波が高く立つのが見え、砂地つづきに歩いて行けた。
夜明け前、海岸にはプーリー地方独特のトンガリ帽をかぶった漁師たちが、三本の丸太を組んだカヌーのような船で荒波を乗り切って沖に出て行く。最初の波、次の波、三度目の波と三重の波を乗り切って、やっと沖に出て帆を揚げるまで、その勇壮な波との闘いは誠に見ものであった。一旦乗り切っても次の波に引き戻され、五度六度、ついには疲れ果て断念する組も出る。この漁師たちは地元のひとではなく隣の州アンドラの漁師で、のの勇敢な精神力はアンドラでなくてはと自慢していた。
その船が昼下がり沖から戻って来る。岸近くに帆を下すと、今度は楽々に岸へと流れ着く。海岸には大勢の家族の子女どもがそれを待っている。私もその時分を見計らって行くと、太刀魚のようなもの、タイに似た魚、その他は気味の悪い魚であったが、いろいろな魚が砂にまぶれているのを安く買うことができた。中には車えびもあって、それは高かった。
浜の砂山に、見渡すかぎり草葺の低い屋根を連ねた五百戸ばかりが集落をなし、アンドラの漁師したちは住んでいた。それは潮風にさらされて灰色のひとかたまりに見えた。彼らは出稼ぎで、一年の半分を漁の季節に合わせてここに住んだ。低くたれた草葺の小屋をのぞくと何もない。砂の上にむしろを敷いただけで隅にやかんが一つ鍋がひとつ見えるだけである。
現代のプーリーの海岸の船は、丸太を組んだカヌーではない。しかし、
夜は海岸で 夜市kが行われている。



大きな車えびのフライを食べたよ。








