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『放射能  キュリー夫妻の愛と業績の予期せぬ影響』を読んで。
ローレン・レドニス 著 徳永 旻 訳
書評:「レドニスが描くものは、活き活きとして、きわめて優美である。『放射能』はシリアスな科学と心地よい物語です。批評家の決まり文句である「光り輝く」が、この本にはとてもふさわしい言葉になる。」(ニューヨークタイムズ)  


◇「目に見えないもの」の誕生と災厄の歴史
 放射能は目に見えない。それはキュリー夫妻の発見と命名に始まる。二十世紀初頭の科学進歩の成果として、大いなる福音ともなれば、とどめようのない災禍をもたらした。目に見えないものの歴史を、目に見えるように語ることはできないか。
 アメリカ人ローレン・レドニスの『放射能』は、本づくりそのものが本の内容を訴えている。数多くの画像は「青写真プリント」として知られる手法によっており、大判のページがさまざまな色をおびている。プルシャン・ブルーに始まって、バーミリオン、黒、イエローグリーン、あるいはエメラルドグリーン。どれも抑えた色調で、しみるように感光したかのようだ。キュリー夫人のいうラジウム特有の「自発的な発光体」と対応している。
 ポーランド生まれのマリー・キュリーは、夫ピエールとともに粗末な研究室で未知の元素を追いかけた。夫が事故死したのちは独力で、偉大な科学的業績をなしとげた。娘のエーヴ・キュリーの手になる『キュリー夫人伝』はひろく世界に知られている。
 レドニスは歴史的エピソードをたどりながら、美しい神話的人物とはべつの女性像をあぶり出していく。二度目のノーベル賞のころ、マリーは亡き夫の教え子の妻ある科学者と熱愛中で、スキャンダルにつつまれていた。二十世紀の幕明けに登場したラジウムの輝かしい力に対して、夫ピエールはそれが「犯罪者の手」に渡ることを恐れたが、マリーはむしろその幻惑的な「発光スペクトル」に魅惑されたようなのだ。いっせいに登場したラジウム仕様の新製品の一つの新塗料を、時計の文字盤にかぶせる際、若い女性作業員たちは筆の穂先を唇にはさんだ。
 やがてあごの腐食、出血、貧血、衰弱へとすすむ。ある少女は鏡の自分を見て失神した。
 「彼女の身体は内側に光をもっているかのように輝いていたのでした」
一八九六年、日本では三陸大津波で二万五千余の命が奪われた。その前年にレントゲンが謎の光「X線」の存在を確認。一九〇三年はキュリー夫妻がノーベル物理学賞を受けた年だが、アメリカのノースカロライナでライト兄弟がはじめて空を飛び、人類が空に進出した。『キュリー夫人伝』の作者エーヴが生まれた年は、「原子爆弾の父」ロバート・オッペンハイマーの誕生とかさなっている。
 キュリー夫妻は新しい元素ラジウムを鉱山の廃物ピッチブレンドから取り出した。元のドイツ語ではペッヒブレンデ。ペッヒは「不運」、ブレンデは閃亜鉛鉱。それは「不幸の石」に始まる。はたして単なる偶然なのか。
 新元素によって人類ははじめて「光」を手にした。つましい暮らしの発見者が特許を放棄する一方で、「光」は直ちに経済原理に組みこまれ、一グラムのラジウム評価額は75万フランにのぼった。
 事実の組み合わせと並行して、大いなる災厄の年二〇一一年生まれ、「光」と名づけられた主人公が語られていく。現代を介入させて、放射能をめぐる固定しがちな先入観にゆさぶりをかけ、新しく照明をあてていく。いまやそれは私たちが呼吸している空気にもひとしいだろう。マリーが祖国ポーランドにちなんで命名したポロニウムは、原爆の中性子発生装置に使われ毎日新聞書評より 
 

放射能は、毎日除染の仕事場で対峙しています。住宅の除染は、決められた目標の放射線量まで下げるために。壁・窓・瓦屋根の拭き取り、表土の漉き取り、土壌の入れ替え、高圧洗浄が行われています。しかし、線量計で測定するまで見えることない塵(放射能)掃除する仕事が除染の仕事です。
この本は、アートにより、目に見えない放射能をアート的に表現して、キュリーの悲しい愛の形をイメージさせてくれる。画文集になっています。
キュリー婦人は、第二次大戦中に移動線撮影装置を作って、医師の外科手術成功率の向上を助けました。 二度目のノーベル賞が決まった時に、愛人との交際を批判されて。

 晩年のキュリー夫人について、研究所の助手が「壁を通り抜ける」かのような姿を伝えている。長期にわたる放射線被曝(ひばく)による「再生不良性貧血」だった。魔術から科学への道をたどった放射能という怪物を、アートに託して検証するなんて、アメリカの才人にしかできない芸当ですね。