「ベトナム統一鉄道を南下せよ」NO23 『サイゴンから来た妻と娘』の幽霊長屋を探す。 | ・・・   旅と映画とB級グルメ と ちょっと本 のブログ

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戦火に追われるサイゴンで、近藤紘一さんが暮らした 幽霊長屋を探してファングーラオ通りへ  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 
  
  市場
  
  
  パン屋さん市場に隣接する
  この笠を被った人の後ろの家が近藤紘一さんが当時暮らしていた市場に囲まれた幽霊屋敷だとおもわれます。

  
  
 

 

ファングーラオ通りの近くの市場パン工場の隣にある建物で市場に接しているのでここではないかな?

サイゴンから来た妻と娘

バンコクの妻と娘

サイゴンのいちばん長い日

パリへ行った妻と娘

妻と娘の国へ行った特派員

   
  
  
 

 サンケイ新聞サイゴン支局からベトナム戦争を報じた近藤は、生涯、妻と娘を題材にしたノンフィクションを三冊、エッセイ集を含めれば四冊も刊行した希有な筆歴をもつジャーナリストである。本書はその第一作で、大宅賞やNHKのドラマ化といった多くの反響を得たことから続編も成立したのだろう。1980年前後、ベトナム女性との国際結婚はそれほど耳目を集めるテーマだったのである。

 

 戦火に追われるサイゴンで、近藤は「大輪の花」のように底抜けの笑顔をもつ女性と出会った。床や天井を突き抜ける鉄砲玉に脅えながら、義兄やいとこ、血縁関係のわからない居候まで同居する混沌とした「幽霊長屋」のようなアパート暮らしが始まる。一家を支える家長としてたくましく働く妻は、近藤との結婚を「お釈迦さまが、きめたことなのでしょう」と語り、サイゴン陥落で祖国を失うと前夫との娘を連れて来日し、みるみるうちに大都会東京の生活になじんでいった。

 

 日々、驚嘆する出来事が起こる。妻は親への絶対服従を誓わせるスパルタ教育を徹底し、娘を張り飛ばすことも躊躇しない。昨日まで可愛がっていたペットのウサギを「お前、そろそろおいしくなってきたねえ」と話しかけて夕食に変えてしまう。カルチャーギャップ以上に人としてのスケールが違うエネルギッシュな妻との波瀾万丈の日々をユーモラスに描きながら、近藤は、何世紀にもわたる侵略と支配を通して培われたベトナム民族の精神性を読み解いていく。圧倒的な自然の恵みと猛々しさに向きあってきた彼らから自然保護思想など生まれようがないといった一節や、沖縄に漂着した難民の取材からベトナムの修正主義を予測するくだりなど、初版刊行から三十数年を経た今読むとその観察眼の鋭さに圧倒される。近藤の一連の著作は長らくベトナムを旅する若者や駐在員のバイブルといわれてきたが、その理由はよくわかる。

 

 ただ一方で、何かがずらされているような感覚が終始つきまとう。カタコト以上の日本語を覚えない妻や逆に日本になじんでいく思春期の娘との日々をまるで取材対象であるかのように突き放して描けるのはなぜだろう。自意識を内に引きずり込もうとする引力に抗うかのように、近藤はあえて自分を異次元の世界に持ち込もうとしているように感じられるのだ。サイゴン赴任の前年に亡くなった前妻の記憶と無関係ではないのだろう。本書にも一か所だけ、前妻に言及した記述がある。

 

 近藤は妻に前妻の話をした。すると、妻はいう。「いまでも思い出す?」「うん。毎日、思い出すよ」。気になるか、と問うと妻はいう。「どうして? 過去は過去じゃない」

 

 一家の関係性は、次作『バンコクの妻と娘』、第三作『パリへ行った妻と娘』と読み進めるうちに少しずつ変化していく。まだ電子化されていないので、関心のある方はぜひ紙の本を入手して読んでみてほしい。[評者]最相葉月(ノンフィクションライター)より

 

今回の旅にもって行ったのは「サイゴンから来た妻と娘」おじさんが、好きなのは「パリへ行った妻と娘」 日本で育てたベトナム人妻の連れ子であった娘がフランス人の恋人の家族と暮らしながら高校へ通う、パリの男性と婚約し、妻は無断でパリにマンションを買ってしまう。 ベトナムの旧宗主国であったフランスには、内戦で多くのベトナム難民が生活し、そこには妻の元夫や元恋人たちも生活している。 国を亡くした妻や娘、そしてパリに集う難民たち。インドシナをよく知る著者だからこそ、彼の視点にたったパリには多くの物語があり、読み物としておもしろい。

 

2000年頃、産経新聞に【日本人の足跡】シリーズが連載され、近藤氏も取り上げられた

7回の最終回が、『パリで母になった娘』

ユンはコンピューター関係の会社で営業をし、当時7歳の息子の育児にも勤しんでいた

コンピューター関係というのは、ピエールがそっちの技師職だからか

ともかく、多忙な日々を送りながらもパリ郊外で穏やかな家庭を築いていた

母親ナウさん、父親の遺影と並ぶ写真は、ナウさんの暮らすパリ13区アパートにて

娘の留学中、パリへ出かけた際に衝動買いしたアパート超高額なカネを早急に送れと電報打ち、亭主は出張先のハノイで腰抜かしたらしい。話がでてくる。

ナウさんにすれば、遠い欧州でも拠点を持て、「ルロワ家で可愛がられて、自分は淋しい…」ゆえの娘監視も出来ると、別に移住は考えていなかったのが、ニッポン亭主との早い死別による終の棲家へとなっている。
ベトナムの下町の市場育ちの奥さんの知恵がすばらしい。きっぷが良くて計算高くて家族思いで、釣好きで動物つぎで、食いしん坊の、サイゴン子と心意気が全文のなかに貫かれているね。