一昨日、團菊祭五月大歌舞伎の一部と二部を観てきました。一部終演後、歌舞伎座内のレストラン『花籠』でランチ♪
四月公演での一部だけの観劇が何だか物足りなくて、今月はダブルヘッダーにしてみたのですが、コロナ以前の二部制って、こんな感じでしたよね。
あのころは幕間も40分くらいあって、客席でお弁当を食べましたが、今は客席やロビーでの飲食禁止で、その代わり、地下の『やぐら』で買ったお弁当なら『花籠』で食べることができます。(三越やセブンイレブンで買ったのはNGです)
狭い三階席と違ってテーブル(アクリル板付き)があるし、一部と二部の間はたっぷり時間もあるし、久しぶりに、今日は一日芝居見物、遊山じゃ♪遊山じゃ♪って気分に浸りました。(チケット代が2公演分というのは痛いけど…)
これって、いいかも♪ ♪♪
六月もダブルヘッダー、花籠ランチにしよう!って大満足で帰宅したら、松竹さんからお知らせメールが届いて、な!なんと! 仁左衛門さんが帯状疱疹!
「歌舞伎座六月大歌舞伎第三部『与話情浮名横櫛』の与三郎に出演を予定しておりました片岡仁左衛門ですが、頭皮における帯状疱疹(たいじょうほうしん)が発症し、舞台に立つのに必要なかつらを掛けることができず、休演させていただきます。
その他の体調に関しては問題ございません」
だそうです。
最近の仁左衛門さん、働き過ぎでしたよね。
無理しないでほしいです。
六月の三部は代役ではなくて演目が変更になりました。それが『ふるあめりかに袖はぬらさじ』なんですよ。
今から50年前、有吉佐和子さんが杉村春子さんのために書いた戯曲なんですが、その主人公のお園役を、昭和63年から玉三郎さんが受け継いだのね。
私、昭和47年(1972年)12月15日、文学座での初演を観ています。
↑当時のパンフレットとチケット(1500円!)です。
杉村春子さんも、小沢栄太郎さんも、主だった出演俳優さんたち、ほぼ亡くなられてますね。
当時、大学生だった私は大出俊さん(ご存命です)のファンで、「文学座大阪支持会」というお堅い名称のファンクラブの集いで、隣に座らせていただいたこともあります。
中に「大阪支持会へのお誘い」という一文があり、当時の世話役をしてくださっていた肥田さんが熱く語っておられます。
「文学座支持会は
文学座を愛好する人々の心から生まれた
いわば野辺の雑草のような会です。
踏まれても
荒れ果てた土壌にも
どこからか姿を現わす雑草のように
支持会はレンメンとつづきました
お芝居を愛し、文学座を離れられない人は
この時代、少々“変り種”かもしれません
でも、それ位の変わり種がどんどん
増えつづけなければ
日本の文化もつまらないではありませんか
しっかりせよと文学座をはげまし、
叱りとばす唯一の存在として………」
昭和の演劇愛好家は、こんな存在だったのですね。
さて令和の今、雑草という草はないのですよ。「どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる」by牧野富太郎
好きな芝居を楽しみましょう♪