↓これ、銘仙と大島で作ったリバーシブルのジャンバースカートです。

↑これを、10月に帰省したとき、着て行ったのね。そうしたら、よっちゃん(兄の妻)が「私もこんなんほしいわ♪」と言ってくれたのですよ。
でね、自分が子どものころに着ていた銘仙の着物をゴソゴソと出してきてくれました。
「えーっ!子どものときにぃ?」とビックリポンの私に、よっちゃんは、子どものときのよそいきは着物だったと言うのですよ。
よっちゃんは大阪市内の大きな商家のお嬢さん(大阪ではとうさんと呼びます)なのです。
谷崎潤一郎の『細雪』みたいな世界で暮らしていたらしい…。
昭和30年代、とうさんは着物を着て、おばあちゃんと文楽を見に行ったりしてたそうな…。
そういう子どものことを大阪では「ええしの子ぉ」と言います。
私はそのころ…、大阪の北のはずれの新興住宅地で、兄のお尻にくっついて、お猿さんのいる山に水晶を掘りに行ったりしてましたよ。
着ていたのは、たいてい兄のお下がりでしたね。
なので、半ズボンにはまえあき(当時はチンチンあきと申しておりました)があって、「女のくせに!」と悪童にからかわれたりしてました。
それを可哀想に思った兄は、母の裁縫道具を出してきて、まえあきをチクチク縫い合わせて、開かなくしてくれたのでした…。
(フツー、そこは「妹をからかうなっ!」と悪童に立ち向かっていくもんだろ)
そういう心優しき男の子を大阪では「あかんたれ」と言います。
…で、その銘仙が、こうなりました。
よっちゃん♪ もうすぐ完成するよ~