先日インドの「ブッダ・マハトサォ」という法要について書かせて頂いた記事について、私の勘違いがあったので、改めて書かせて頂くことにする。
南方仏教ではブッダの誕生と成道と入滅は、どれも同じ日付のインド暦のウエーサカ月の満月の日のことだったとされていて、この3つを同時に祝うウエーサカ祭は、インドではブッダ・ジャヤンティ、ブッダ・プルニマなどと言い、タイではワン・ウィサカ・ブーチャーと呼ぶ。
ブッダ成道の地であるインドのブッダガヤではブッダ・ジャヤンティを「ブッダ・マハトサォ」という法要として執り行っているが、ブッダガヤ日本寺駐在同期のS和尚が、今年5月12日に行われた「ブッダ・マハトサォ」に参加された。
それを踏まえて私は、「ブッダガヤでブッダ・ジャヤンティがブッダ・マハトサォという名称で初めて行われた第1回のポスターを今も記念に持っている」と先日このブログに書いたのだが、つい昨日、何気なくそのポスターを引っ張り出してみたら、そこには「第2回」と書いてある。
S和尚が「第1回ブッダ・マハトサォ」について書いておられる記事の年数を見て、何となく違和感を感じつつも、そのまま確かめずにいたのだが、このポスターを見た途端、S和尚は私が不在の時に第1回のこの法要に参加し、私はS和尚が不在の時に第2回のブッダ・マハトサォに参加していたことを、漸く思い出した。
この記事を読んでおられる大半の方には何の興味もない話かも知れないけれど、前回の記事を修正した上で、今回はお詫びと訂正を兼ねて、そのポスターの画像を添付させて頂きます。
おしまい。
※「ホームページアジアのお坊さん本編」もご覧ください。