お寺のごはん | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

小僧時代の元日に先輩僧が米を炊いて叱られていた。正月に米を炊くなんて、お前はなんてことをしてくれたんだと厳しく窘められていたのを、今も正月が来る度に思い出す。

 

さて、人類学における「照葉樹林文化説」は、現在、必ずしも万人に認められていないようだけれど、餅や納豆や鳥居といった日本文化が、中国雲南省に起源を持つという説は、なかなかに魅力的だ。

 

ただ餅に関して言うと、日本全国津々浦々、形はかなり違えども正月には必ず「雑煮」というものが食べられているのに比して、汁に入った餅を正月に食べるという風習は、雲南やその他のアジア圏にもないのではなかろうか(追記:中華系でも客家の方は汁に入った餅状の料理を正月に食べるのではという話を教えて下さった方があったが未確認。但し、いずれにしても広範囲なヴァリエーションで雑煮が普及しているのは日本の特殊性である、という風にご理解ください)。

 

そんな中で日本では、正月にうどんを食べる地方もあるんだそうで、所変われば品変わるとは言え、興味深く思うのだけれど、うどんと言えば、お寺では麺類を食べる時にも音を立ててはいけないと教えられた。禅宗では麺類だけは音を立てて良いとされるが天台宗では駄目なのだと言って、音を立てずに麺を食べるコツを教わったものだ。

 

ところが後で他の天台宗のお坊さん方とお話ししていると、誰に聞いても禅宗と同じく、麺だけは音を立てても良いと言われたとのことなので、あれは私が修行したお寺だけの教えだったのかも知れない。

 

いずれにしても麺であれ雑煮であれご飯であれ、食事の時は心を放逸にせずに食べて、或いはお寺の精進料理であれ、お節料理であれ、誰かのために作ってあげる普段の家庭の食事であれ、調理の時は心に気づきを持ってするのが大事なのだろうと思う。

 

 

                 おしまい。

 

「ホームページ アジアの精進料理」もご覧ください。