佐々木弘伝師によれば、タイ仏教においてパーリ語を習得する学僧には等級に応じてターラパットという団扇状の標示扇が授与されるが、死亡ないし還俗した時は返還しなければならないそうだ。
タイで法要などの後に法話を行う比丘(僧侶)がターラパットで顔を隠して説法するのはよく見る光景だなのだが、さて、先日知り合いのお坊さんがご法務でタイに行かれた時に、このターラパットは、在家の時から知っている僧侶の場合、在家信者がその方の顔を見ると僧侶前の俗人の時の思いが出るので、顔を団扇状のもので隠して法話をするものであると、現地の人から聞いたそうだ。
この点を「タイ佛教修学記」の管理人・伊藤氏に確認してみたら、顔を隠すのは出家前の姿を云々という意味も含めて、個人を特定できないようにする目的がある、仏法は比丘個人からではなく、ブッダから直接受けるものだからといったような意味合いがあると聞いたことがあります、とのことだった。
ちなみに日本語表記として、「ターラパット」と「タラパット」のどちらが相応しいかもお聞きしてみたら、タイ語表記は「ตาลปัตร taa lá pàt」なので、「ターラパット」で良いのではないでしょうか? とのことだった。
以上、アジア仏教にお詳しい二人の善友に、感謝いたします。
おしまい。
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