スプーティ長老はブッダの十大弟子の一人で、漢訳では須菩提と音写するが、原始仏典の「テーラガーター」では一番最初の詩句が、須菩提長老の言葉となっている。
「テーラガーター」の岩波文庫版日本語訳である「仏弟子の告白」の注釈に、「スプーティ長老は祇園精舎を寄進した給孤独長者の甥であり、後代には空を理解すること第一と言われ、般若経典にもしばしば登場するが、「テーラガーター」中に第1句以外かれの詩句が伝わっていないのは、上座部の方から見るとかれは異端者であったが、後代の大乗仏教はかれを前面に押し出したと考えられる」と言った説明がある。
確かに最初期の大乗経典である「金剛般若経」にも須菩提長老が登場するのだが、このお経を音読すると「須菩提、須菩提」という呼びかけが何度となく耳に入って来る。
ちなみに岩波文庫版「般若心経・金剛般若経」の「解題」には、こんな説明がある。
「この『金剛経』は空の思想を説いているにもかかわらず、その中では「空」という語を用いていないのが、般若部経典としては奇異に感ぜられるが、それは恐らくまだ「空」という術語が確立していない時代に成立したものだからであろう。…経典の形式が極めて簡素で古形を示している。…原始仏教聖典の書き出しかたと全く同じであり、大乗経典らしいところが少しもない。」
また、「釈迦と十大弟子」(新潮社)の著者である仏師の西村公朝師は、須菩提長老のことを「どうもあまり目立った存在ではなかったようです。いつも物静かで争いごとをしない。それでいながら仏の教えのいちばん肝心な「空」をきちんとわかっておるなとお釈迦さんも可愛がっておられたようです」と書いておられる。
ー「わたしの庵はよく葺かれ、風も入らず、快適である。天の神よ、思うがままに、雨を降らせ。わたしの心はよく安定し、解脱している。わたしは努力をつづけている。天の神よ、雨を降らせ。」
…尊き人・スプーティ長老はこのように詩句を唱えた。ー
(中村元訳「仏弟子の告白」第1章ー1)
おしまい。
※画像は韓国曹渓寺の境内で見た金剛経を読む僧侶の像です。
※「ホームページ アジアのお坊さん 本編」もご覧ください。