「お坊さんはお経が上手だから、きっと歌も上手いんでしょうね?」みたいな台詞を、一般在家の方から言われたことのあるお坊さんは多いのではなかろうか? 結論を言ってしまうと、決してそんなことはない。読経と歌唱の能力は別物だと思う。
読経が上手く聞こえるための大きな条件は、「慣れ」だと思う。お坊さんが上手にお経を読むのは、場数を踏んで何度もお経を読んでいるからだ。
私が小僧修行させて頂いたお寺では、「天台宗のお経は無節の節(むぶしのふし)と言って、変な節や抑揚を付けずにただ単調に読むことが大事で、それによってお経がきれいに聞こえるのだ」という風に躾けられたものだ。
一方で天台宗には天台声明という節付きのお経もあって、お寺と無縁の世界から得度した私にとって、これは大変に習得の難しいものだった。
小僧の先輩に西洋音楽の嗜みのある方がいて、西洋の楽譜と声明の音階との比較などを宗門校の論文に認めておられたのだが、その方が、習得に苦労している私に直々に基礎の声明を伝授して下さった。ところが音感のない私はその旋律を聞き覚えだけでは一向に習得できない。
思えば私事で恐縮ながら、子供の頃から声についてはよく褒められた覚えがあり、お坊さんになってからもそう言って頂くことが多いのだが、歌や音楽はどちらかと言えば苦手だったし、語学もヒアリングが不得意な方だ。
お経の声を褒めて頂くことについても、それは私の声がたまたま普通のお坊さんたちのいわゆる「いい声」とは違う声質だから珍しく感じて頂くのであって、大勢で読経する時は、他のお坊さんには合わせにくい、迷惑な声だろうと自戒している。
従って私は歌も上手くなく、それによって導かれる結論として、お坊さんが必ずしも歌が上手いとは限らない、お経も歌も両方上手なお坊さんはたくさんいるだろうけれど、お経が上手くて歌が下手なお坊さんもまた、たくさんおられることだろうと、私は推測している。
おしまい。