お坊さんになる前、まだ神道学を専攻中だった頃、伊勢の朝熊岳道を、山岳修行のつもりで、よく登った。
学生寮を出たら本当にお堂に住んでひとり修行するつもりで、朝熊山麓の村の空き寺を見つけ、村の人に交渉したのだが、結果、この話はまとまらず、卒業後に何年かして私は比叡山で得度した。
朝熊岳の登り口に千躰地蔵堂があったのもよく覚えているし、山中の三界萬霊供養塔を見ては仏教の宇宙観に思いを馳せ、登山道途中のお堂に年配の女性たちが参籠して般若心経を唱えている場面に出くわし、秘かにお堂の脇で覚えたての心経を誦したりもした。
山上の古刹・朝熊岳金剛証寺には天照大神のご本地とされる雨宝童子が祀られていたことも、神仏習合を志していた頃の私の心を掻き立てたものだ。
先日、「にっぽん百低山 朝熊ヶ岳 三重」という番組を知人が録画しておいてくれたのだが、登山者の吉田類氏は駐車場近くの登山口から登っておられたので、その少し下にある千躰地蔵堂は映っていなかったものの、金剛証寺の内陣で「神仏習合」という概念を目の当たりにした吉田氏がいたく感動し、番組の最後までそのことを特別な体験として何度も語っておられるのを見て、はるか昔の自分の姿を思い出した次第。
おしまい。
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