歩き遍路…土の巡礼路 | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

舗装道路が歩きにくく、土の道に入った途端にほっとするという経験をしたことのある歩き遍路の方は多いと思う。千日回峰行の阿闍梨さんですら、比叡山内から降りて、京都の大廻りや切り廻りを行う時は、コンクリートの道路に悩まされるということだ。考えてみれば地球表面の大半が舗装されていること自体が異常なので、それが環境や気象に影響を与えるのも当然だと思う。

 

私も四国を初めて歩いた時に、最初は草鞋履きだったのだが、舗装路ではすぐに草鞋が駄目になり、途中で地下足袋に切り替えた。もちろん昔のように土の道を草鞋で歩くのが一番だから、そんな時代に戻るべきだと言っている訳ではない。

 

上方落語「高津の富」に、宿の主人が到着した客に足を濯ぐ桶を用意しようとすると、今日は雪駄を履いているから必要ないと、客が答える場面がある。旅人は草鞋を履いていることが多いが、草鞋では足が汚れやすい。雪駄とは文字通り、雪の降った路地や水を打った茶室でも足袋が濡れないように改良された履物だったことを、この場面は表している。私も結局、その後の巡礼では靴を履いて歩くのが、一番だと思うようになった。

 

都市化の進むタイやインドですら未舗装道路が残っているが、ラオス、カンボジア、ミャンマーなどには、なお土の道が多く、足は汚れ、砂埃が舞う。そんなこんなで日本でもアジアでも、土の道が楽なことばかりでないことは重々承知しているつもりだが、それでも先日、山道ではない平地の土の巡礼路を歩いた時に、何と歩きやすく身体に優しいのだろうかと、改めて思った次第です。

 

 

               おしまい。

 

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