タイのお寺でテーラワーダ僧として修行し始めた頃、まだタイ語も出来なくて、初心者向けのタイ語の本で独学し、英語や日本語が出来るお坊さんたちに少しずつ質問しては、お寺での暮らしにもなじんで行った。
当時ご縁のあったプラユキ・ナラテボー師やプラ・タカシ・マハープンニョ師のような、タイ語も堪能で現在もタイで修行を続けておられる日本人上座部僧の方たちに我が身を引き替えると忸怩たる思いがするので、今さらながらタイ語を勉強し直したいと思ったりもしている。
さて、タイでの修行を始めた頃、言葉の出来ない私のことを面倒くさがらずに、手取り足取りいろんなことを教えてくれたのは、10才にも満たないタイの小僧さんたちだった。
朝のお勤めの後に先代住職の像に詣でるんだよと、小僧さんたちが私の袖を引いて「パワーナー、パワーナー」と言っていて、理解できない私に一人の小僧さんが「ワイ、ワイ(合掌、お参り)」と教えながら、その像のあるお堂まで連れて行ってくれたものだ。
或いは毎晩、瞑想室で坐禅会が行われていることを私に教えるために、別の小僧さんが坐禅のポーズをして見せて、「パワーナー、パワーナー」と言っていたこともある。
日本語のできるタイ人メーチー(尼僧)に聞くと、「パワーナー」という言葉は発音も概念も難しいので、とりあえず坐禅や瞑想のことは「サマーディー」のタイ語訛りである「サマーティー」と言っておけば良いと教えてくれた。
旅行者用のタイ語会話集にも「祈る」を表す言葉として載っていることもある「パワーナー」という言葉が、パーリ語の「bhavana バワーナー」のタイ語訛りであることはずっと後になって知ったのだが、漢訳仏典で「修習」と訳されているこの言葉は、「心を成長させる」という意味で、テーラワーダ仏教の気づき(sati)に依る修行や瞑想を表す言葉として有名だ。
仏教書を紐解いて bhavana という言葉を目にする度に、この言葉のタイ語における微妙なニュアンスを私に教えてくれた、タイの小僧さんたちのかわいらしい姿と声を、今も必ず思い出す。
おしまい。
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