姿勢の良さには自信があったつもりが、作務衣を着ている時の背面からの時分の写真を見たら、思っていたより姿勢が悪く、これではいけないと思った話を書かせて頂いたのが、ちょうど半年くらい前だった。
ところがまた最近に作務衣姿の写真を撮って頂いたら、まだまだ姿勢が宜しくなくて、これは気づきが足りないせいだと痛感した。
プラユキ・ナラテボー師が何年か前の「大法輪」にアーナパーナ・サティ瞑想の解説を書いておられたが、その後のご著書「自由に生きる」の中で、その文章に大幅加筆改稿を加えたものを掲載された。改稿版は特に懇切で、一層有益な内容だった。
それらの記事の中では特に「姿勢」という単語は使われていないのだが、プラユキ師の単著処女作「気づきの瞑想を生きる」を最近読み返していたら、終わりの方のアーナパーナ・サティについての簡単な解説の部分には、身体・感覚・心・法の4つに気づいて行く過程の内、最初の身体についての箇所に「呼吸、姿勢、身体などに気づいて行く」と書いておられて、ほら、やっぱり「姿勢」にも気づきを持たなければと、自分に言い聞かせた次第だ。
「天台法式作法集」の最初のページには「恭敬奉仕の念が、旺盛であっても、外に作礼節度がなければ、崇敬景仰の感を得ることは難しい」とあるのだが、その後には「姿勢を正しくするには胴造(どうづくり)と言って脊椎腰部(せなこし)を曲げず五体の中心を正しくすることを基本とする」と書いてある。
姿勢が悪くなっていると気づいた時に、姿勢を正すことで「今ここ」に立ち返り、気づき(sati)によって心を調える。それは簡単に出来ることなのだから、そうして気づきを保たねば損だなあと思って、ここ最近、なお一層、姿勢に気を付けるようにさせて頂いています。
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