これもまた人から頂いた新聞記事の話なのだが、2018年3月31日付の朝日新聞の折込紙「be」に、田中ひろみ氏という、写仏に関する著作もあるイラストレーターの方が、千葉県の勝覚寺というお寺のことを書いておられた。
その記事の中に、勝覚寺の釈迦堂にある釈迦像は天竺インドの大仏師、毘首羯摩(びしゅかつま)が彫った像を受け継ぐ、と書いてあった。と言うことはつまり、この釈迦像は清涼寺の三国伝来式の釈迦像だということだろう。毘首羯摩と言うのは実を言うと、仏師ではなく、毘首羯摩天という天部(仏法守護神)のことだ。
成道後7年目の年に、ブッダが亡くなった自身の生母マーヤー夫人に説法するために天に登った折り、コーサンビーの都に住むウデーナ国王=優填王(うでんのう)が、ブッダが地上におられないのを悲しみ、毘首羯摩(びしゅかつま)に命じてブッダに生き写しの像を造らせた。
仏像はやがて中国の五台山に伝えられ、東大寺の僧、奝然(ちょうねん)が唐に留学の際に模刻して、日本に持ち帰った。そして、それが嵯峨の釈迦堂に伝えられて、インド、中国、日本の三国伝来の釈迦如来と称されることになったという。
ブッダが天上でマーヤー夫人に説法したという伝説はパーリ仏典にもあり、その後にブッダが天から降り立った地が、インドのサンカシャという仏跡なのだが、ブッダの不在を寂しがったウデーナ王が仏像を彫らせたという伝説は、漢訳の増一阿含経にのみ、伝わる話だそうだ。
で、この像を彫刻したと伝えられる毘首羯摩とは、インドの工芸神ヴィシュヴァカルマンのことで、この神はギリシャ神話における工匠ダイダロスがクノッソスの宮殿やイカロスの翼など、多くの事物を制作したと伝えられるように、インド神話においてヤマ王(閻魔王)の宮殿やランカ島(スリランカ島)など、いろんな神話的建造物を製作したとされている。
リグ・ヴェーダ以来の古い神ではあるが、今もインドでは、建築、工芸、機械、職工などの神として、人々によく信仰されている。嵯峨の清涼寺の本堂内では、中国ナイズされた毘首羯摩の絵像を拝することができるが、下の画像はインドで入手したヴィシュヴァカルマンのシールで、その違いを見比べてみると、結構楽しい。

ブッダガヤの日本寺では、インド人職員たちに請われて、ヴィシュヴァカルマン・プージャの日に、お寺の停電時に使う発電機の前では、般若心経を唱えたものだ。
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