テーラワーダ仏教(上座部仏教)のお坊さんが午後に食事を取ってはいけないという戒律に関して、私自身のタイ修行中の体験談や、大乗仏教におけるこの戒律の名残りについては何度か書かせて頂いたことがあるのだが、それとは別に、タイでテーラワーダ比丘として暮らしていた時からずっと疑問だったのは、そもそもこの戒律が、何のために設けられたのかという点だった。
最古の仏典「スッタニパータ」における「時ならぬ時間」(正午以降)に托鉢のために出歩くことについての、岩波文庫「ブッダのことば」の中村元博士の注釈を見ても、なぜ午後に食事をしないかという理由は書いておられない。
人類学者が実際にタイで比丘体験をした上で著した古典的著作である、「タイ仏教入門」(石井米雄著)、「タイの僧院にて」(青木保著)の2作においても、正午以降に食事をしてはいけない戒律に関して、それぞれ別の切り口で記してはおられるが、やはりどちらにも「なぜいけないのか」についての説明や考察はない。
この戒律が仏教特有のものかどうかを確かめるために「沙門ブッダの成立 原始仏教とジャイナ教の間」(山崎守一著)を読み返してみたが、夜分に食事を取らないことについては、暗い所で虫などの生き物を殺さないためという理由が書いてあったが、「午後」に関する規定には触れていなかった。
そこで、「ジャイナ教」(渡辺研二著)という本を読んでみたら、こちらには「午後に食事を取らないことは、仏教とジャイナ教の修行者に共通する戒律である」と書いてはあったが、理由の説明はなかった。
さて、「精進料理入門」という本の中で監修者のインド仏教学者・阿部慈園師が、ブッダ時代の食事について書いておられるのだが、そこでも、なぜ午後に食事を取らないかという理由は、直接、明確には説明されていない。
ただ、断食の日数を段々と増やして行ったブッダ自身の修行時代の体験などから、仏教では貪りすぎず、苦行に走り過ぎないという中道の教えによる、「節量食」が重要視されるようになったのではないかということについては詳しく考察し、説いておられる。
ちなみに私はこの戒律に関して、修行や宗教上の意味が発生する前に、熱帯では食物をそのまま日中に置いておくと腐敗が激しいから、午前中に托鉢で得た食べ物を正午までに食べ終わるという慣習が発生し、それが細かく宗教的な意味も加味して規則化されたのではないかと想像したことがある。
結局のところ、阿部師の仰るように、適度なところで食に対する執着を抑えることを仏教は重視し、ジャイナ教のように苦行や断食をさらに推し進めて規則化することはなく、もっと別のポイントに重点を置いた結果、仏教における修行者の食に関する決まりが、午前に托鉢して食事を得、正午以降はその食事を取ってはいけないという非時食戒に集約されたのかも知れないと、今は思う。

是非ご覧ください!!