大阪市内の関目という土地は、道が入り組んでいて迷路のようなのだが、これは関目の七曲がりと言って、豊臣秀吉が大阪城築城の時に、外部からの侵入を困難にするための土地作りを行った名残だという。
そう言えば京都の聚楽廻りと言われる地域も道が入り組んでいるが、これも秀吉の町作りの名残りなのか、或いはたまたま後からそうなったのか、一度調べてみたいと思っている。
迷路のような城塞都市は海外にも色々たくさんあるが、それはともかく、本物の迷路に関しては以前に書かせて頂いたことがあるから簡単に記させて頂くけれど、エジプトのピラミッドやギリシャのクノッソス宮殿、イギリスのハンプトン宮殿など、古今東西、有名な迷路は枚挙に暇がない。
江戸川乱歩の「迷路の魅力」という小文(随筆集「悪人志願」所収)は、そうした歴史上の迷宮や近年の行楽用の迷路、各地の洞窟などの他に、信濃の善光寺の戒壇廻りについても触れている。
真暗闇の中を壁に触った手だけを頼りに歩いていると、四角い堂内を歩くだけなのに、らせん状に進んでいるかのように錯覚する、その怖さ楽しさを迷路の一種として説いていて、とても興味深い。
さて、話は変わるが、先月に岐阜県関市を訪れてから、円空の入定窟や惟然の弁慶庵のことは何度か書かせて頂いたのだが、実はその時、宗休寺(通称:関善光寺)も初めて参拝させて頂いた。そして恥ずかしながら、全く知らなかったことなのだが、そこに世にも珍しい卍戒壇廻りなるものがあることを知った。
一体どんな形状かと思いながらお堂の下の闇を進むと、確かに曲がる曲がる、何度も曲がる、らせん状どころか自分がどちらを向いているのかも分からない、乱歩が体験したらさぞ喜んだろうと思われるその趣向を卍戒壇とは、正に言い得て妙のネーミングだ。
この関善光寺、一年以上前に、とあるラグビー選手が組む指の形に似た印相の仏像が境内にあるということで話題になった寺だったことに、参拝してから気がついた。
ちょっと旬を過ぎた話題なので、お忘れの方もあるかと思い、当時の「天台ジャーナル」(153号)に載ったその仏像の写真を掲げさせて頂くことにする。

日本の仏像には見当たらないこの印相は何なのかという推測を、その当時、ここで書かせて頂いたことがあるのだが、今回、初めて実際に参拝させて頂いたところ、日本のいろんな仏さまの印の中には、多少似たものもあるけれど、どれも微妙に違っている。
では、100年ほど前に大陸から招来された「宝冠大日如来」だとされるこの仏像の印相は何なのかと言うと、私が台湾の仏教関係者の方から頂いた印相の本に載っていた「寶菩薩印」なのではいかと思う。
密教の印相を軽々しくアップすべきではないと思って以前は控えたのだが、この機会なので皆さまの参考にと思って紹介させて頂くことにする。

如何でしょうか?
古刹の貫禄十分な上、卍戒壇に宝冠大日如来、見所たっぷりな関善光寺、善男善女の皆さま方は、是非是非どうぞ、ご参拝を。
※ホームページ「アジアのお坊さん」本編も是非ご覧ください!!