別にがんばっても、いいんだよ | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

例えば千日回峰行者である酒井雄哉師のご著書にも、「がんばらなくていいんだよ」というタイトルのものがあるし、とある高名な仏教ライターの方は、ずいぶん前から「がんばらない」ことの大事さをあちこちで説いておられたものだけれど、「がんばる」こと自体の良し悪しはともかくとして、「がんばる」という言葉を使うことまでもが、そんなに悪いことなのだろうか?

そう言えば、子供の時の学校の教科書に、「前畑、がんばれ! というベルリン・オリンピックを中継していたアナウンサーの言葉が日本における、頑張れという言葉の流行の端緒だ」という見解の文章が載っていたが、その文章も「頑張れ」という言葉を意味もなく頻繁に使用することに、疑問を呈していたのを覚えている。

でもそのような、「我を張る」という意味ではない、軽い挨拶としての「頑張って」なら、その言葉がもふさわしい状況だって、なくもないと思う。

しんどいのに辛抱したり、無理したりするという意味で頑張る必要はさらさらないが、先日も書かせて頂いたブッダの最後の言葉、「怠ることなく修行を完成なさい、精進しなさい」=「appamadena sampadetha」という意味で、「頑張ってね」と声を掛けるのは、そんなに悪いことではないと思う。

ちなみに私が持っている古いタイ関係の本に、タイ人は「頑張って」などという言葉は使わなかったが、日本人がその言葉をよく使うのを聞いて、それに当たるタイ語を編み出した、という記述がある。

さて、その後、事情はどう変わったのだろうと思っていたのだが、今年タイに行った時、書店で本を買ったら、「ガンバッテ・ブック」という出版社のしおりを挟んでくれた。それが下の画像だ。


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但し、その古いタイ語の本には、「けれどやっぱりタイ人は頑張ってなどという言葉は余り使わない」と、改めて強調してはありましたが。

                        おしまい。

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