今年になって、「私度僧」という言葉を、このブログで何度か使わせて頂いた。昔の日本で僧侶の得度が官許に拠っていた頃、許可なく勝手に出家して僧侶を名乗っていた人のことを言うのだが、「日本霊異記」の著者である沙門景戒(きょうかい)も私度僧であったという。
そのために「霊異記」には、私度僧に関する記事が多いのだ、ということは、例えば小学館版の古典文学全集の「霊異記」の解説にも詳しく書かれているし、wikipedia にすら出ているので、周知の事実のようではある。
そこで「霊異記」の中の私度僧がらみの話の内、その後、「今昔物語集」に採られた同話を当たってみると、同じ内容の話なのに、「今昔物語集」では、主人公の僧が私度僧であると、わざわざ明記されていない場合がほとんどで、「今昔」の編者が「私度僧」という概念に、何ら興味もなく、重点も置いていなかったことがよく分かる。
私度僧なるものが、当時の社会における様々な制約を逃れるために僧体に身をやつしていただけの存在なのか、或いは通常の真っ当なコースを経た官許の僧侶に比べて遥かに高い志と情熱を持った修行者だったのかは、各人それぞれに、いろんな場合があっただろうけれど、この事情は現代の既成仏教のお坊さんたちと、そうでない仏教修行者さんたちの関係にも似て、微妙なところだ。
ブッダ時代の戒律を踏襲するテーラワーダ仏教では、お坊さんでない人が徒らに黄衣を纏うことは厳しく禁じられており、タイなどでは社会的な法律によっても、それが禁じられていたりするが、何年か前にベトナムではニセ托鉢僧の横行に仏教界が手を焼いているというニュースが報じられたことがある。
インドの一部では、正式な得度式を経ずに黄衣を身に着けた仏教僧侶が仏跡付近などにたむろしているという噂もあったりするが、元来は仏教の発生以前から、出家という行為に重きを置いていて、それ以来、何千年もの間、一般人の出家を良しとして来たインドのことだから、この辺りの事情に、さほどの罪悪感はないのかも知れない。
けれどそんな風な出家という行為を重視するインド社会の中では、有象無象、玉石混交の出家者もまた発生しやすいということを懸念すればこそ、ブッダは厳重な得度規定を設けたのだと思う。
「正式に得度をしていない熱心で優秀な仏教修行者」というものは、今も昔も存在し得るだろうと思うが、正式に得度していれば、枠を外れた自己流の修行に陥いる可能性は低い。そして仏教の修行にとって、それはとても大切なことなのだと思う。