私はタイで修行した時も、インドに赴任した時も、現地の食事が甚だ性に合ったので苦労もなかったのだが、特に昔の日本の先輩僧方の南方仏教修学記録などを拝見すると、日本食を恋しがり、食事に悩んだ方が多かったようだ。
あくまでこれは好みや体質の問題なのだから、修行なのにそんなことではいけない! などと咎めるつもりもないし、自分が海外の食事に困らなかったことを自慢するつもりもない。「遣唐使 後は茶漬けを 恋しがり」という川柳もある程だから。
ただ、私はタイでテーラワーダ比丘としての修行中に、美味しい、不味いを口にしてはいけないということを、よく言われたものだ。不味いと言ってはいけない、というだけなら、一般社会の礼儀作法や躾けの範囲でも理解できる話だが、美味しいと言ってはいけないと言うところが、仏教だなあと思う。
ところで、これは日本のお寺での修行中のことなのだが、食事の時に音を立ててはいけない、禅宗では麺類をすする時だけは音を立てても良い、しかし天台宗では麺を食べる時にも音を立てないのだということで、音を立てずに麺をすするコツを教えてもらったものだ。
そのことを日本の方に言うと、そんな食べ方じゃ美味しくないでしょうと仰る方が多いのだが、美味しい不味いは問題ではない訳で、天地自然の食物を有難く美味しく感謝して頂くのが仏教でしょう? などと、そういう方がよく仰る考え方こそが一般社会、娑婆世間のものであり、美味い不味いを超えたところに新たな世界が広がるところが、実は仏教の醍醐味なのだ。
という訳で、巷間、バックパッカーたちが、アジア圏ではどこの国の食事は美味しいけれど、あそこやあそこの国の食事はアジア三大まずい料理の一つで、などと言ってたりする話を、ここで書く気はさらさらない。
但し、アジアでの修行時、どこの国であっても美味しい不味いは言わないようにしていたとは言うものの、たまたま性に合っただけに過ぎないにしても、訪れたことのある全てのアジアの国での食事が、私にとってはとても美味しく感じられたというのは、幸運だったと思う。

あ、美味しいって言っちゃった。
おしまい。
※天台宗の中にも、麺の時だけは音を立てて良いと指導する師匠や修行寺があるようです。
※テーラワーダ仏教227の戒律中、食事に関する戒が30項目あり、その中に美味しい不味いを口にしてはいけないと明確には定められていません。
走ってはいけない、泳いではいけない、笑ってはいけないなどと同じ、戒律から導き出される不文律のようです。
※ホームページ「アジアのお坊さん」本編も是非ご覧ください!!
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