いらち・いらん・キャンペーン実施中 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

以前、甚だ温厚な台湾の紳士に車に乗せてもらったら、道が込んでいて、上品な紳士は的確な運転技術で路肩をすり抜け、車線を変更し、瞬く間に目的地に送り届けてくれた。後で日本語のできる他の人に聞くと、あの人はとてもせっかちな方ですと言うのだが、それならば「せっかち」と関西弁の「いらち」はずいぶん違うなあと思ったものだ。

上方落語には「いらちの愛宕詣り」や「いらち俥」のような演目があるが、関西人の気質を表す言葉としてしばしば引用される「いらち」は、例えば江戸落語に描かれる「粗忽者」とは似て非なる概念だ。

「粗忽」がせっかち、うっかり、慌て者といったニュアンスなのに比して、「いらち」は文字通り、なにがしか、いらいらしていて気ぜわしい。

例えば、関西人が他の地方に行くと、レジの応対がのんびりしているのが、ただモタモタしているようにしか思えない。或いは、都道府県によって交通マナーや運転のペースが違うのは有名な話だが、非関西圏の運転は、全てにおいて関西人には悠長に見える。

関西人は確かに、信号が青になった途端に発進する。けれど、ただそれを以てして、関西人が「いらち」だと言うのではない。関西以外の地方では、みんながそれほどせっかちでもない割りに、信号が赤になっているにも関わらず、何時まで経っても何台も車が停まらずに交差点を横切る。それを見た「いらち」の関西人は、いつまでだらだら動いとんねん!信号が赤になってんねんから、はよ停まらんかい!といらいらする、これが関西人の「いらち」だ。

「いらち俥」という落語は人力車の話ではあるが、その疾走感のせわしなさたるや、誠に関西人の自動車事情をデフォルメしつつ、当を得ていると思う。

お坊さんになってからは、何かと落ち着いて身を慎まねばと心がけているつもりの自分の中に、根強く関西人の「いらち」気質が眠っていることに、ことある毎に気づくことが近頃多いので、こんなことではいけないと自らを戒めるために、こんな話を書いているんですが…。
              
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                                              おしまい。


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