「母さんはあるもの全部持ち出してタムブンをしてしまう。孫が腹を空かせていても、持っていって坊さんの托鉢に入れてしまうんだ。そして孫がナムプラーだけでも平気な顔。…(中略)…だけど、坊さんたちが玉子焼きを食べている時におれの甥っ子が白飯にナムプラーをかけて食べてるのを見るのはショックだよ。」
…ウィモン・サイニムヌアン「蛇」(桜田育夫訳・めこん)
先月、タイで白ご飯と玉子焼きだけの朝ごはんを頂いて、私はタイ米の白飯やカイ・チョウ(焼くと言うより、たっぷりの油で揚げる感じの、などとよく解説されるタイの玉子焼き)を食べる度に、いつも上に引用した「蛇」の一節を思い出す。
昨今のタイなら、玉子焼きと白飯だけの朝食は、必ずしも贅沢と言えないのかも知れないが、「蛇」の原作が発表されたのが1984年、日本語版が出版されたのが1992年で、1990年代にタイで修行させて頂いていた私は、この本をその頃のタイで読んだので、お寺の豪華なお供養の食事を、毎日、ちょっと複雑な思いで頂いていたものだ。
その頃からぼちぼち携帯電話が流行し始め、1999年には僧侶の携帯電話使用を、タイ人の7割がこころよく思っていないという新聞記事を見かけた。
2000年代以降は、テーラワーダ仏教のお坊さんもインターネットでの普及に熱心だ、みたいなニュースも多くなり、その後、スマートフォンの爆発的な普及、タイのお坊さんが日中の空いた時間にスマートフォンの画面を見ておられることも珍しくなくなった。
つい最近、真ん中に男の子供を挟んでではあるが、後部座席にタイのお坊さんを乗せて運転している女性のバイクを見た。タイではお坊さん自身も、一般在家の方たちも、戒律の線引きは重々ご存知な訳だから問題はないのだろうけれど、中途半端にタイ仏教の知識があると、ろくに五戒すら守れていない、われわれ日本のお坊さんが、却ってびっくりしたりすることもある。
そうそう、そう言えばタイのテレビでルークトゥン(タイの演歌、などとよく解説されるタイの歌謡)のビデオが流れていて、別れた男女の女性の方が、二人で一緒に飼っていた犬をお寺に捨てる、お寺ならこの犬も何とかなるだろうと思って女性が祈る、朴訥で善良そうなタイの老僧の姿が何度も映る、というドラマ付きだったのだが、今も昔もタイ人のお坊さんに対するイメージは、こういうものなんだろうなあと思う。
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