今・ここに気づく瞑想の流行は、いつ・どこで始まった? | アジアのお坊さん 番外編

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タイの高僧プッタタート比丘の「観息正念」書籍版(三橋ヴィプラティッサ比丘・日本語訳)は2001年の発行ですが、その16頁、サンティカーロ比丘による前書きの中に、「しかも、呼吸のそれぞれは、限りのない「いま・ここ」の中に生きている現実なのです」とあります。

ちなみに、2011年発行の「観息正念」 PDF形式CDーROM版では、同じ箇所が8頁に当たり、「しかも呼吸のそれぞれは、限りのない「いま・ここ」の中に生きている現実なのだ」と訳されています。

仏教、特にテーラワーダ仏教とその瞑想法の核心である「気づき=sati サティ」については、「今・ここ」という表現で説明されることが多く、タイと日本で活躍中の日本人上座部僧、プラユキ・ナラテボー師も、2009年のご著書、「気づきの瞑想を生きる」、2011年の「苦しまなくて、いいんだよ」、2014年の「脳と瞑想」のすべての中で、「今ここ」に気づく大切さを説いておられます。

また、プラユキ師が監訳を務められたカンポン・トーンブンタム氏の著書「気づきの瞑想で得た苦しまない生き方」は2007年の発行ですが、2008年の初頭にプラユキ師がこの本を贈呈して下さった時には、師が本の扉に「今ここを大切に心を込めて生きよう」と揮毫して下さいました。

ちなみに師が1990年代に私に下さった何通かのお手紙を、この度、改めて拝見させて頂いたところ、やはり昔からプラユキ師は「今ここ」について説いておられることが確認できました。

なぜこんな話を書いているかと言うと、仏教と関係のないところで「気づき」という言葉が便乗的に流行っているということを以前に書きましたが、近頃、多分、2010年前後から、「今ここ」という言葉も、やたらと仏教の瞑想と関係なしに使われたり、いろんな書物のタイトルに使用されたりしているのを目にするようになったからです。

たとえそうでも、それらの流行が、仏教的な意味での「今・ここ」への気づきに繋がるものならば、それはそれで幸いなのですが。



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