剃髪というのは、仏教だけに特有な宗教的行為ではない。
例えば現代インドのヒンドゥー教徒の男子は、ピトリ・パクシャという先祖供養の期間や近親者が亡くなった場合などに頭を丸めるし、その他の様々な祭礼時に剃髪する場合も、多々ある。
また、下の画像は中世ヒンドゥー教におけるチャイタニヤという聖者の絵だが、ご覧の通り、きれいに剃髪している。

※画像は「インド神話の謎」(学研)より
何でこんなことを考えているかと言うと、先日、イスラム教のメッカ巡礼時の事故を伝えるニュースで、剃髪したムスリムの方たちの写真を見たからなのだが、中東からインドにかけては、宗教が違っても文化や風土に共通点が多いから、もしかして剃髪にも、何か共通の基盤があるのではないかと思ったのだ。
イスラム教については詳しくないので、「南アジアを知る事典」(平凡社)や人類学の事典を見てもよく分からず、いくつかのインターネットの詳しいサイトを見させて頂いたら、メッカ巡礼にはハッジの他にウムラと呼ばれる巡礼形態があり、髪の一部を切ったり剃髪するのだと書いてある。
但し、正直に言って、私にはそれらの巡礼の詳しいシステムが理解しきれていないので、とりあえず、イスラム教徒にも剃髪を行う場合があることだけは確認できた、ということに留まっている。
それはそうとして、例えば髪の一部を残して頭を剃る中国の弁髪を見ても、剃刀などで頭を剃るという行為自体は全人類的に見て、ごく一般的なことなのか、或いは伸びて来た髪を「切る」ことは普通でも、「剃る」ことは一定の条件が揃わないと、なかなか世界中のどの地域にも発生し得る現象ではないのか、少なくとも中東からインドにかけての剃髪行為には、いくらかの共通した文化的基盤があるのかを、もう少し詳しくこれから調べてみたいと思う。
※ wikipedia の「丸刈り」の項には、宗教的剃髪以外の、軍隊・学校・思想団体などの丸刈りに関する事柄が、西洋の事例も含めて挙げてあるが、イスラム教についての記述はない。
※ また、仏教以外の宗教にも剃髪行為は見られるとは言ったが、ブッダやその僧団が剃髪していることが、当時の他の人々から奇異に思われたような記述も仏典には見えるから、2500年前のブッダ在世時には剃髪行為はありふれたことではなく、それから何百年もたって、インドの宗教が徐々にヒンドゥー教という形を形成し出してから後に、仏教の影響で剃髪という慣習がヒンドゥー教に持ち込まれたものなのか、今のところ、私には分からない。
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