招待されなかった法要の葉書 | アジアのお坊さん 番外編

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親戚から百か日の法事を済ませましたという葉書が来たけれど、あなたはその法要に招かれておらず、法要が済んだことを後で知ったので、招待もされていない法要に対して、勝手にお供えなどを送りつけて良いものかどうかを、悩んでいるとする
 
一般的に、百か日の法要というのは、どちらかと言えば、ご身内だけで済まされることが多い。知らせないと、百か日もやらないのか、などと文句の一つも言う親戚がないとも限らない、そこで親戚にご足労を掛けては気の毒だから身内だけで法要を済まし、なおかつきちんと供養は致しておりますという意味も込めて、その親戚の方は知らせの葉書を出されたのかも知れない。
 
近頃はお葬式ですら、身内だけで済ませましたという連絡が後から来て驚く、ということも多くなったが、形式だけの付き合いを排して互いに負担を掛けないようにしようという暗黙の了解が、世の中にだんだん出来て来たのは、決して悪いことではないと思うから、法事法要に関しても、こういうお知らせのようなパターンは、今後も増えて行くだろう。
 
招待されてない法要の知らせが来た場合に、お供えなんかを送るのは失礼かどうかは難しい所だが、お供えのお金を書留で郵送するということ自体はよくあることだから、お布施の袋に入れて送るなり、但し書きなどで「百か日法要お供え」などと一筆、明記するのが大事だとは思う。
 
その親戚とのお付き合いの度合いによって、どんな感情がお互いに発生するかは違ってくるだろうから、最終的な判断は、その兼ね合いを自身で考えるしかないとは思うけれど。