法話のマクラに関する一考察 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

例えば不特定多数の方がお参りに来るお寺のお勤めで、毎日、法話をする、という状況を想定してみる。

不特定多数とは言うものの、常連の参拝者の方たちも何割か居られるとして、初めての方や、最近、来てくれるようになった方などが、入れ替わり立ち代り、お参りに来るとすると、毎日、同じ話ばかりをする訳にも行かない。

ネタのストックをある程度持っているとしても、365日分には足りないし、かと言って、毎日のように新ネタを繰るのは大変だ。さて、あなたがお坊さんだったら、どうしますか?

話は変わるが、昔、短い期間に同じ噺家さんの落語を聞く機会があって、話の演目そのものは違うのに、マクラが全く同じだったので、その時、初めて気づいたのだが、噺家さんたちはプロなので、さも今思いついたばかりの身辺雑記を話し始めたかのように見えて、実は綿密に台本を練って、一言一句違わぬほど、流暢にマクラを喋っておられた訳だ。

そして、同じマクラから、上手に噺をいろんな違う演目のネタに繋いで行く。もちろん、毎回、違うマクラを考えておられる噺家さんもいるし、何を話すかぐらいは考えておいて、ほぼアドリブで話す方もいる。いろんなマクラからいろんな噺に展開させる訳だから、マクラが面白ければ、何回聞いたネタであっても、面白かったなあという印象の方が深くなる。

で、最近、ちょっとそのことを思い出して、そうだ、近頃あった変わった出来事で、直接、仏教と関係ないことでも、話して面白い内容ならば、まずそれをマクラに話し始めるのはどうだろうと思いついた。

今までは、日常の出来事から、仏教的な話に無理やり繋げるような、普通のタイプの法話の運びが嫌いだったのだが、「マクラ」だと思えば、むしろ話していて、とても楽しいし、法話の新ネタを繰るのは難しいが、身辺雑記なら、ある程度、気をつけていれば、比較的、いくらでも思いつきやすい。もちろん、その出来事は、なるべく一般の方にとって、非常に珍しいとか、或いは万人の興味を引くような事柄であることが望ましい。

そうして、十分な掴みで引き付けておいた上で、何かしら関連のある、自分の法話ネタストックへと繋げるのだが、その中間に、もう一つ、別のマクラ、もしくは別の法話ネタを挟み、都合三つの小咄を、その時々の参拝者の顔ぶれを見て、色々に組み合わせる。

そうしたら、三つの小咄の順列組み合わせのパターンは結構な数に登るから、毎回、新鮮な気持ちで聞いて頂けるのではないかと思って試している。

という訳で、私は「マクラ」というコンセプトで、ちょっと今、法話に新たな活路を見出したつもりになっているのだが、よく考えてみれば、結局のところ、普通のお坊さんの日常の出来事から説き明かす一般的な運びの法話も、言ってみれば同じ思考回路を経て成り立っている気もするので、これはただ単に、私がようやくオーソドックスな普通のタイプの法話が出来るようになったというだけのことなのかも知れません…。



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