知り合いのお寺でわりと大規模な停電があって、付近の信号が止まるほどだったそうだ。近頃の日本の停電と言えば、災害時などを除けば、数分程度で復旧することが多いので、我々は停電に対してちょっと油断気味なのかも知れないが、さすがに一時間や二時間の停電となると、いろんな不具合が生じてくる。
例えば冷蔵庫の心配。一般家庭はもちろん、店舗だったらなおのことだ。また、冷蔵に関ること以外にも、停電していると業務に甚大な被害を被る職種は、きっとたくさんあるだろうと思う。
さらに昨今では、インターネットやオンラインを前提に成り立っている業務が多いから、「もしも電気が何日も来なかったら」という想定は、結構怖ろしいものだ。停電について考えてみると、現代社会がいかに電力というものに依存して成り立っているかが、よく分かる。
さて、昔ほどではないものの、インドと言えば停電が付き物で、もちろん停電しやすい国はインドに限らないけれど、私が一定期間以上暮らした国はタイとインドなので、やっぱりタイと比べても、インドは格段に停電国だと思う。
インドでも、大きな施設には発電機があるが、どちらにしても、一度、電気が切れた時点で機器は被害を被る訳で、特に今はやっぱりパソコンやらインターネットの問題があるから、なかなか大変だろうと思う。
また、これはよく皆さまが書いておられることだが、効いているのかいないのか分からないインドの電気蚊取り器、夜に寝ていて停電した途端、天井のファンは止まる、蚊は大量に来襲する、ああ、あの蚊取り器はよく効いていたんだなあと思った時には、もう眠られない。
さらに、水道がポンプなどの電力に依存している場合、電気が止まると水も止まるから、これはこれでまた大変だ。日本でも山のお寺などでポンプ式の水道を使っている所があるが、私がタイのお寺でテーラワーダ修行させて頂いていた時、出来たばかりのワット・パクナム寺院の外国人専用僧坊が、屋上汲み上げ式の水道で、このポンプがしょっちゅう停電や故障で止まって辟易した。
暑い国でファンが回らない、水浴びが出来ないというのはちょっとつらい。自分だけが何にもない森のクティ(僧坊)に住んでいて、風も吹けば、川で好きな時に水浴びも出来る環境なら、電力がどうとか停電がどうとかは関係ないのだが。
もはや人間社会が電力のない社会に立ち戻ることは不可能だし、修行者たるものは、修行者なのだから、自分だけ頑として原始的な生活を送るべきだとは、さらさら思わないが、少なくともこの現代社会において、電力やインターネットや携帯電話に依存しなくても暮らして行けるだけの心構えは備えておきたい。修行者にとって退けるべきは、「依存」という状態だと思うから。
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