ー 何これ? ただの石ころとナワひも。こんなので結界をはるのか?
ー モノはなんでもいいんだよ。要は型さ。
「ワン・ゼロ」(佐藤史生)より
テーラワーダ仏教寺院で得度式や布薩式(ふさつしき・ウポーサタ・僧侶の戒律確認のための儀式)を行う場合、シーマーと呼ばれる結界のある寺の堂内でしか、それらの儀式を執り行うことは出来ない。
石井米雄氏の名著「タイ仏教入門」69~70頁にもシーマーの説明があるが、タイなどではシーマーのない小さなお寺のお坊さんは、月に二度あるウポーサタの儀式の度に、シーマーのある他のお寺まで出掛けなければならない決まりだ。
また、結界を表すためのバイ・シーマーと呼ばれる結界石があり、その設置には複雑な儀礼が伴う。東南アジアの博物館などに、昔のバイ・シーマーが展示してあることがたまにあるのだが、その英文の説明は、「The demarcated stone」、即ち「境界を示す石」となっていたりする。
余談ながら、1998年にインドのブッダガヤにある台湾寺で、歴史的な意義のある国際尼僧授戒会があり、参加する日本の尼僧さんたちが日本寺に宿泊されたのだが、当時の駐在主任だった三橋ヴィプラティッサ比丘と共に、ブッダガヤでシーマーのある、授戒会を行い得る寺はどこどこだろうかと議論したことを、今も懐かしく思い出す。
さて、「結界」という概念は、そのまま日本仏教にも受け継がれ、日本の仏教辞書にも、普通に結界に関する説明があるが、梵語は「sima-bandha」、僧団の境界を意味する、得度や布薩はその中で行う、比叡山や高野山は、山そのものに結界が設けられている、昔、女性が入山できなかった頃には、女人結界があった、などとある。
そう言えば、比叡山で十二年籠山行や三年籠山行をされているお坊さんたちは定められた結界を越えて、下界に出ることは出来ない。我々ですら、教師資格履修のための修行道場である比叡山行院にある時は、結界を守らねばならない。
辞書にはまた、僧俗の境を表すために、寺の本堂の内陣と外陣を区切る柵を結界と呼ぶという説明まで、ちゃんと載っている。
ついでなので、大手仏具メーカー何社かのカタログでこの結界の値段を調べてみたら、安いものでも三万円前後、もちろんもっと高い物もある。
言ってみれば、ただの柵なのだから、器用な人なら自分で作ってもいい訳だ。複雑な儀礼を伴うにしても、そうでないにしても、「結界」というものは、あくまでも「決め事」なのだから。
※ホームページ「アジアのお坊さん」本編も是非ご覧ください!!
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