子どもの頃から十代の頃くらいにかけて読んだ本を読み直す、ということを最近、ずっと試みているのは、面白いと昔思った本が今読んでも面白いかどうか、昔理解できなかった本が、今ならどのくらい理解できるようになったか、或いは子どもの時の自分が何を思ってそれらの本を読み、その読書が、現在の自分に何らかの影響を与えているのかどうか、などを確かめてみたら、さぞ楽しかろうと思ったからだ。
と言っても、小学生から中学生にかけて私が読んでいたのは、ほとんどがミステリか奇術の本ばかりだったのだが、この「世界短編傑作集 5」(創元推理文庫)は小学生の時の友人の家にあったもので、私が友人に江戸川乱歩が好きだと言ったら、親の本棚に乱歩の本があるよと言って貸してくれたのが、この本だった。
実は「世界短編傑作集」は乱歩の著作ではなく、乱歩が選んだ海外短編ミステリの傑作選だったのだが、それはともかく、この本を何回も友人から借り直しては読んだ記憶があり、各作品の表題を見ると、どれも見覚えがあって懐かしいのに、なぜか内容に全く記憶がない。
アイリッシュの「爪」とカーター・ディクスンの「見知らぬ部屋の犯罪」だけは、当時、乱歩の随筆などで名前を知っていたためか、多分、何度も読んでいるらしく、大体の内容も覚えていたが、他の作品にはタイトル以外、余り覚えがない。一体、私は何のために何度もこの本を借りていたのだろう?
今回、読み直してみて、どの作品もとても面白いことに却って驚いたくらいで、特にインターネットのレビューなどで、みんなが面白いと書いておられる「ある殺人者の肖像」が確かに面白く、そして、そのラストシーンにかすかに記憶があったので、やっぱり全編、分からないなりに、読もうと努力していたのかなあ?
「ある殺人者の肖像」は、記述者の「私」の少年時代の回想として物語られるのだが、私の回想をついでに言えば、この「世界短編傑作集 5」を貸してくれた友人は転校生で、家が近かったために、よく行き来して、彼の家には彼自身の本や彼の両親の本で、私の興味をそそる本がたくさんあって羨ましく、しつこいくらいに、よく貸してもらったものだ。
乱歩の「化人幻戯」や横溝正史の「悪魔の手毬歌」、忍者の本やいたずらの本、「世界短編傑作集 5」の目次を見ていると、懐かしさがこみ上げてくる上に、大人になって読み直したその内容は、どれも大変面白く、ああ、死ぬまでにこの本を読み直して良かった、良かった。
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