どんなに奇妙なことでも、連続して起こると、人はそれを信じるものです。マクベスが三人の魔女の三つの言葉を信じたのも、そのためです。
─G・K・チェスタトン「古書の呪い」『ブラウン神父の醜聞』(中村保雄訳)より
先日、ひとコマひとコマ、物事を進めましょうという話を書きました。
いやなことが重なると、人はどうしても、それらを結びつけて考えがちです。
主婦の方がよく仰るでしょう? 物が壊れる時は一遍だわ。冷蔵庫に洗濯機に掃除機。本当にいやになる。私が何か悪いことをしたとでも言うのかしら? これじゃあ気も滅入るし、第一、家計が大変だ。
或いは不幸ごとが立て続く時もあります。そんな時、人は思いがちです。きっと、あれをしたせいで、良くないことばかりが起こったに違いない。
辛いのは分かりますが、そういうふうに考えないで下さい、と申し上げて、分かりました、そうですね、がんばりますと仰っていただいた方に、畳み掛けるように、また不幸ごとが重なって、親しい人を何でこんなに一時に、亡くさなければならないのかと、せっかく分かりかけた心が、またくじけてしまう場合もあるでしょう。
すべてはたまたま重なって起こった出来事ですが、偶然重なった出来事だからと言って、もちろん一度よりも数度いやなこと起こった方が、負担は重くなって当然です。心の負担も、家計の負担も、です。
でも、それらをまとめて一緒くたに考えると、苦しみは何十倍にも膨れ上がります。すべてをひとまとめにして苦しむのではなく、ひとコマずつ、ひとコマずつ、処理して行く、それ以外に、苦しみに立ち向かう方法はないのです。