医も仁術 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

何でもない漢字の読みで、ずっと間違って覚えていて、最近、やっと間違いに気づいた、ということが、結構ある。自分の思っている読みを入れてもパソコンが変換しないので、おかしいと思った時に、はたと自分の間違いに気が付いたということが、最近もいくつかあった。

それとは別に、ことわざの意味の取り違え、ということも、世間でよく話題になるが、私の場合、「医は仁術」という言葉を、ずっと勘違いしたままで生きてきた。

この言葉、医療は単なる技術ではなく、人の命を救うための仁愛の術だ、という意味なんだそうだ。

私はずっとこれを、医学というのは処方や処置、診察よりも、患者に対する接し方、言葉や態度で相手にまず安心を与えることが大事だという意味だと思っていた。つい最近、この言葉を調べて、微妙に意味が違うことを知った。

難しい病気のことはさて置き、たとえば一般的な初期の風邪くらいに対して、どこの医者であっても、同じ程度の薬を処置するとしたら、あとは医師の接し方一つで、治る度合いは違って来ると思う。

たとえば、おどおどとおぼつかない手つきだとか、面倒くさそうな、或いは無愛想で偉そうな態度の医者よりは、分かりやすく親切な説明の一つでもあるか、口数は少なくとも、ニコニコとおおらかで温かみのある人柄のお医者さんの方が、病気を治せる率は高いと思う。

私は行ったことがなかったのだが、私の小僧時代のお寺のそばにあった診療所は、簡単な風邪くらいでは薬も注射もなく、うがい薬だけを処方し、これで十分だ、栄養を取って暖かくして寝ていなさいと言うのが常だったとか。

仏教には「応病与薬」と言って、病や症状によって医者が薬を変えるように、相手の性格や状況によって、法の説き方を変える、という考え方がある。
 
手を変え品を変え、最大限の力で、いかにして相手に安心を与えるか、お坊さんもお医者さんも、常に心がけているべきだと思う。
 
 
 
 
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