ある仏教雑誌の読者アンケートに、今、注目している僧侶がいれば書いて下さいみたいな項目があって、もうちょっとで恵心僧都と書くところだったのだが、わざと面白い、変わったことを答案に書きたがる小学生みたいかと思って、やめにした。
天台座主になっていない天台僧なのに、天台史上、極端に著名な僧侶である、恵心僧都源信。別にお座主になっていなければならない訳ではないが、元三大師も天海さんも天台座主なのに、恵心僧都って、あんなに有名なのに、という感覚だ。もちろん、恵心僧都は名利を嫌って、横川に隠遁したのだから、当然と言えば、当然なのだけれど。
その著、「往生要集」は、後世の日本浄土教に多大なる影響を与えたばかりか、中国でも絶賛されたし、「恵心僧都 横川法語(念佛法語)」は、現代天台宗の常用日常経典「台宗課誦」にも収録されている。
かと思うと、「恵心僧都 止観坐禅記」という、坐禅の要諦を記した小文もあり、こちらは岩波文庫版の「天台小止観」にも収録されているが、このことは僧都が念仏と坐禅という、一見、両極とも思える二つの修行法に造詣が深かったという事実を表すようで、興味深い。
「今昔物語集」を始め、数々の説話伝説にも登場するほど、その行跡は人口に膾炙し、「源氏物語」における横川の僧都のモデルともなった。
こんな素晴らしい方が、天台宗の大先輩だなんて、もっとその思想を知らねばいかん、と思って、大型書店の岩波の棚を見たら、「往生要集」がない。夏に「二十四の瞳」を探したら、どこの本屋にもなくて、読書感想文の季節だからか、戦争について考える季節だからかと、首をひねったものだが、なぜ「往生要集」がない? もしかして恵心僧都ブーム、来てるとか?
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