臨終少年 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 小学校の高学年の時に、現代語訳の「伊勢物語」を読んだ、という話は、前にも書かせて頂いたのですが、その最終話の、
 
  つひにゆく 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを
 
 という歌を読んで、少年だった私は、怖いなあと思いました。きっと死ぬ時って、こんな気持ちなんだろうなと。
 
 仏教には、「臨終正念」という言葉があります。正しい気づきを以って、死に臨むこと。浄土門では、息を引き取る前の最後の念仏という意味でも使われ、我々、天台宗の僧侶も、日々の供養において、南無阿弥陀仏のお念仏と共に、回向文の中で、「臨終正念」という言葉を口にします。
 
 プッタタート比丘の「観息正念」の中に、呼吸を観察するアーナパーナ・サティ瞑想を実践する中で、いまわの際の呼吸が分かる、この呼吸をしている内に死ぬか、そんなことはないかという風に、我々自身の最後の呼吸が予測できる、ということが書いてあります(三橋ヴィプラティッサ比丘日本語訳CD・PDF版 74頁)。
 
 さてさて、少年の時と違って、もう死ぬのが怖くない、と言い切れるほどの覚悟が、今の私には出来たのでしょうか。少なくとも、昨日今日、或いは今日明日に、死がやって来るかも知れないと肝に銘じながら、日々の読経の中で、「臨終正念」と唱えています。
 
 
 
※そのプッタタート比丘の著作の
三橋ヴィプラティッサ比丘による日本語訳CD、
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