変哲もなき偏屈 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 インドのブッダガヤ日本寺駐在同期のH師は、見た目は至って温厚だが、芯のしっかりした方で、筋の通らないことはお嫌いだった。筋の通らない状況に出くわした彼が、時折り口にした印象的な言葉が、「ぼく、こう見えて、ややこしおまっせ」。
 
 この「ややこしい」というニュアンス、西日本以外の方に、うまく伝わるだろうか? 「ややこしい人」というのは、「難しい人」でもなければ、「複雑な人」でもなく、「面倒な人」とも「厄介な人」とも違う微妙なところなのだが、温厚そうな方が、ご自分で言うからこそ、味わい深さもひとしおだ。
 
 さて、今度は私事ながら、学生時代に、将来のことについて、ちょっと変わったことを言ったら、「偏屈やなあ」と言われたことがあって、あれ? こんなことを、世間では偏屈だと言うのかと、その時に学習した覚えがある。
 
 関西弁では偏屈な人のことを、「へんこ」などとも言うが、一般的にこれは褒め言葉ではない。また、ついでに言うと、ご自分でご自分のことを、「俺はへんこやねん」などと仰る方は、ポリシーを貫く立派な人だと、関西では秘かに周りから賞賛されているかと言うと、決してそんなことはなく、どちらかと言うとうっとうしがられていたりする。
 
 という訳で、一見、きちんと礼儀正しく、物の道理もわきまえていて、自分の考えを頑なに貫くだけではない柔軟さも持ち合わせているけれど、筋を通すところは通すという辺りのキャラクターが、仏教者としては順当かと思う。
 
 日常生活の中で、これはおかしいと思う事態に出くわした時、仏法によって解決できないことは何もないはずだと考える。ところが世間の人は、一般在家の方のみならず、お坊さんまでもが、そんな理屈通りには行かないよ、社会というのは、そんなものじゃないんだよなどと、したり顔で言うものだ。そんな時、H氏のあの言葉が、脳裏をよぎる。
 
 ぼく、こう見えて、ややこしおまっせ。
 
 
             
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                         おしまい。
 
 
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