初めてインドネシアを旅したのは、タイで修行中、黄色い衣を着ての巡礼時で、バンコクのスクンビットの日本人街にある書店で、「地球の歩き方」を買って携帯した。
そこに載っていた旅行者会話集を見ていたら、インドネシア語というのは、ずいぶん易しい。易しいなどと言うとまた失礼ながら、「旅行者が、旅行中に使う簡単な短いフレーズを覚えるのが、他の言語に比べて易しい」という意味において、インドネシア語は簡単だと思った。
時制の変化がない、女性名詞や男性名詞がない、複数形も人称もない、その上、表記文字はローマ字だから、外国人でも看板が読める。素晴らしい。エスペラント語ではなく、こちらを世界共通言語にすべきではないかと、その時、思った。
バリ好きの日本人が増えたこともあってか、「サマサマ」とか「ジャランジャラン」といった、日本人にお馴染みの言葉も結構あるし、ほぼ同じ構造のマレーシア語に比べて、インド文化流入の名残りでサンスクリット語からの借用が多いのも、仏教徒の私にとっては馴染みやすい。例えば、「宗教」は「アーガマ」(阿含)、「瞑想」は「サマ-ディ」(三昧)。
文法も簡単なので、「歩き方」に載っている文例と単語を組み合わせて、言いたいことを表現してみたら、あっさり通じた上に、インドネシアに来て2日目? 信じられないと、相手のインドネシア人に驚かれた。
私の語学力なんて、ほんとにお粗末なもので、あなたのお国の言語構造が素晴らしく、外国人にも理解しやすいんですよと表現するほどの語学力は、もちろん私にはなかったのだけれど。
先日、タイに行く時に、エアアジアを利用したので、マレーシアのクアラルンプールで乗り換えたのだが、空港で簡単なインドネシア語が、今だに口を突いて出た。ほっといても覚えているもんだなあと我ながら感心し、そんなあれこれを思い出した。
簡単、易しい、などとしつこく言うと、勉強してちゃんと話せる方たちに対して、本当に失礼だと思うけれど、いつまで経っても忘れないというのも、易しい言語であるが故の利点だ。
なぜって、カンボジア人やスリランカ人のお坊さんに教えてもらったそれぞれの言語、難しいなあと思い、覚えるのも大変だったし、今では挨拶程度以外はほとんど思い出せないから、やっぱり習得の易しい言語、難しい言語というのはあるものだ。
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