坊主川柳…日本神話 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 伊勢神宮の神職で連歌師でもあった荒木田守武に、「元日や 神代のことも 思はるる」という句があって、これは静謐な元日の空気の中に神代を空想した一句だそうだが、日本の神話時代を指す神代(かみよ)って、本当に清々しく透き通ったイメージ通りの時代なのだろうか。
 
 ということを考えたのは、9月の半ばに島根県の隠岐で古代ワニであるマチカネワニの化石が発見されたというニュースを読んだからで、このワニは、日本列島が大陸から分かれる過程にあった2千万年前、まだ日本海が湖であった頃に生息していた巨大なワニだそうだ。
 
 このワニが因幡の白兎伝説に登場するワニだと言っている訳では決してないが、神話というものには、きっと古代における何らかの記憶が反映されているのではないかと思うから、記紀神話における国生み神話も、日本列島がそうして大陸と切り離された過程を表しているのかも知れない、などと想像する。
 
 民間説話には「山の背くらべ」伝説というものがあって、富士山と浅間山に関するものが有名だ。近江にも伊吹山と浅井岳が争ったために地震が起って、浅井岳の頭が千切れて琵琶湖に飛び込んで竹生島になったという言い伝えがあるが、こうした伝説なども、何らかの歴史的事実が伝えられているのかも知れないと思う。
 
 昔に読んだカール・セーガンの「エデンの恐竜」という本に、アダムとイブが智恵の木の実を食べて神の怒りに触れたため、以後、人類は生みの苦しみを味わうようになったという旧約聖書の記述は、脳が発達することによって人間の頭部が大きくなり、他の動物より人間の出産が大変になったことを表しているのでは? と書いてあったが、私はこういう発想が好きだ。
 
 神武東征伝説にしたって、神話絵本ではあっさりした風景の中に涼しげな衣装を着た人物が描かれていたりするが、大昔に九州から瀬戸内海を通って難波の入り江に到着したら、木々の生い茂る湿地帯に、違った風習を持つ民族が住んでいて、ちょうど我々が東南アジアの大河を舟で遡る時の光景に、よく似ていたのではなかろうかと思って詠んだ川柳一句、
 
     ジャングルや 神代のことも 思はるる
 
                                   おしまい。
 
 
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