坊主川柳…高野山の思い出 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

 小学生の頃、林間学習で高野山の宿坊に泊まった。「林間学習のしおり」みたいなノートに、五輪塔の説明があって、五輪塔に書かれた文字が宇宙を表していると書いてあるのを読んで、文字で宇宙を表現できるなんて、なんてすごいんだろうと驚いた。
 
 夜、奥の院への肝試しというアトラクションが予定されていて、怖がりだった私は本当にそれがいやでいやで、何でだか、先生たちの都合でそれが取りやめになった時は、真底、胸を撫で下ろしたものだ。
 
 そして何を血迷ったか最終日、お世話になった若いお坊さんに頼んで、そんな性格でもなかったくせに、林間学習のしおりの空いたページに彼のサインを貰った。
 
 別にその人に出会ったことが後年、自分が出家する遠因になった訳では決してないと思うが、この文章を書きながら、ふっとそれを思い出して、何でわざわざお坊さんのサインなんか貰ったのだろうと可笑しくなった。確か、そのお坊さんの年齢は十九歳、もちろんそのサイン入りのしおりは、失くしてしまって今は無い。
 
 さて、どうしたことやら、大人になった私は比叡山で得度して、天台宗のお坊さんになったのだが、お坊さんになって間もない頃に、霊場巡りと思って高野山を訪れたことがある。
 
 山上の道場であるべき境内の塔頭の間に商店が立ち並ぶ光景を見て、聖地だと言いながら、高野山上は俗化している、霊場なのに普通の町になっている、などと仰る方がよくあるが、私は楽しいと思った。
 
 確かに、いまだに定められた結界に囲まれた山内を、三年籠山や十二年籠山修行のお坊さんが、一歩も山を降りずに修行している比叡山のような霊場もすばらしいが、56億7千万年後に下生する弥勒菩薩にお仕えする予定で、その時まで奥の院に入定している弘法大師が、遠い未来にこの商店街を目にするのだと思うと、想像するだけで楽しいと思って詠んだ川柳一句、
 
     当来の 慈尊迎える 商店街
 
                                   おしまい。
 
 
 
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